プロ野球 平成名勝負

強者を倒す「野村再生工場」を分析する

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 現役のビジネスパーソンに最も読まれている野球人の本は、恐らく知将・野村克也監督の著作だろう。83歳の現在も新著が相次ぎ、どの書店をのぞいても「ノムさん」本が山積みだ。ID野球の元祖は、監督歴24年の中で弱小チーム(?)をたびたび優勝に導いてきた。才能や運に頼らない勝ち方を、現場で取材してきた「プロ野球 平成名勝負」(日本経済新聞出版社)の著者、篠山正幸・編集委員に聞いた。

■知将と謀将が競り合った日本シリーズ

 平成の名勝負ですぐ挙がるのが、ヤクルト・野村監督と西武・森祇晶監督が争った1993年の日本シリーズだ。プロ野球きっての知将と謀将の頭脳戦が演じられた。当時の西武は「常勝集団」の異名を持った全盛期で、前年も両チームは顔を合わせており、4勝3敗で西武が勝った。野村監督にとって今回は雪辱戦だった。

 ともに捕手出身。日の当たらないパ・リーグでいくら本塁打を打っても注目されなかった野村監督と、V9時代に常にONの陰に隠れる存在だった森監督は、似たような境遇からかウマが合った。篠山編集委員は「どちらかが日本シリーズに出るとなれば、互いに自分のリーグのチームの情報を提供し合う仲だった」と言う。

 93年の日本シリーズは、開幕前日の褒め殺しから戦いが始まった。練習ですれ違うと「よう、大監督」(森)、「大監督に握手してもらったよ」(野村)の応酬だ。勝負の流れは初戦を制したヤクルトが3勝1敗とリード。しかし西武が第5、6戦を連取して3勝3敗の五分に戻した。森監督はここまで選手、コーチ、監督として20回出場した日本シリーズで無敗の記録を誇っていた。しかも勝負の流れは追い上げた方が断然有利だ。

 しかし逆に野村監督が本領を発揮しやすい展開ともいえた、と篠山編集委員。「野村監督には楽勝パターンは似合わない。すったもんだの逆境の方が、さえた采配をみせた」と話す。しかもデータの生かし方とともに、選手に説いていたのは「勇気と度胸」というプリミティブな心構えだったという。「プロの選手の技量にさしたる差はない。最後に勝負を決めるのは腹のくくり方だとの大局観があった」と篠山編集委員は分析する。

 第7戦、腹をくくる場面は八回にきた。3―2でリードし、1死三塁。広澤克実選手の打球が前進守備の遊撃の前に高いバウンドとなって転がった。バットがボールに当たったら迷わず走る「ギャンブルスタート」を切っていた、三塁走者の古田敦也選手がホームを陥れ、決定的な1点を加えた。

 選手層の厚みではるかに勝る西武を相手にして「弱者が強者を倒すには、必ずどこかでいちかばちかの勝負をかけなければならないと、野村監督は決断の時に備えていた」と篠山編集委員。野村流の「弱者の兵法」はチーム内で共有されており、最高の舞台でプレーとなって開花した一戦だった。

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