プロ野球 平成名勝負

長嶋監督「最終決戦」の采配を分析する

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 平成の名監督は1位落合博満、2位野村克也。3位仰木彬……。しかしとびきりのビッグネームが欠けていないだろうか? 巨人の長嶋茂雄監督だ。「プロ野球 平成名勝負」(日本経済新聞出版社)の著者である篠山正幸・運動部編集委員は「長嶋監督は別格。普通の物差しでは測りきれない」と言う。ペナント制覇や日本一の回数で上を行く名監督は何人もいる。それでもプロ野球界に長嶋監督の存在は欠かせない。その采配ぶりを最もよく示したのが1994年(平成6年)のシーズンだった。

「こんな試合をできる選手は幸せですよ」

 巨人はこの年、ペナントレースを独走しながら中日に追いつかれ、勝った方が優勝という、シーズン最終戦の決戦に持ち込まれた。勝負事では、劣勢から追いついた方が有利というのが通り相場だ。しかし「『長嶋劇場』に経験則や理屈は通用しない」と篠山編集委員。

 ペナントレースを振り返ると、巨人は一時2位に9.5ゲーム差をつけ、8月18日の時点で残り30試合、「マジック25」を点灯させていた。あとはこの数字をひとつひとつ減らしていくだけだ。ところが8月末から8連敗するなどもたついた。他チームが息を吹き返し、追い上げの先頭に立ったのは、9月下旬から9連勝をマークした中日だった。

 このシーズン、中日は早々に優勝争いから脱落し、高木守道監督の退陣が既定路線となっていた。新トップとして星野仙一監督が4年ぶりに復帰するという、マスコミ人事も発令済みだった。ほとんど「死に体」となったところで呪縛がとけ、選手らが本来の力を発揮し始めた。

 首位巨人と2位中日が1ゲーム差で、ともに残り2試合の10月6日に、中日は阪神に大勝し、巨人はヤクルトに逆転負けした。先発の槙原寛己投手を、救援でスクランブル起用したのが裏目に出た。

 残るは8日、互いに最終130試合目となるナゴヤ球場での直接対決だ。当時のセ・リーグは勝率ではなく、単純に勝ち星だけで優勝を決める仕組みだった。「最も分かりやすいルールが最高のドラマを生んだ」と篠山編集委員。ヤクルト戦直後、マウンドを降りる槙原投手の表情は、文字通り顔面蒼白(そうはく)だったという。「逆王手」をかけられた巨人ナインは、皆同じ心境だっただろう。

 しかし長嶋監督だけは違った。ぶらさがり取材を始めた番記者たちに向かって「130試合で決着だ。こんな試合をできる選手は幸せですよ」――。

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