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「機密費外交」が示す日中関係の虚実 「アジアを読む」 (1)  井上寿一・学習院大学学長に聞く

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機密費外交の効果を引き出した松岡・杉原

 機密費のなかで最大の用途は接待外交です。国際連盟から満州事変の調査に派遣された「リットン調査団」には、日本に有利な結論を得ようと各地で歓待しました。軍部と外務省との「官官接待」にも支出されました。日中停戦協定が成立すると、今度は信頼関係を醸成する広報外交の出番です。しかし信頼醸成の結果が伴わずに広報活動が先行すると逆効果になる恐れもありました。

 ――日本の機密費外交が効力を発揮したケースはありますか。

 まず満州事変のさなかに起きた日中の軍事衝突事件、上海事変(32年)です。上海は欧米各国の権益が錯綜(さくそう)しており国際的影響は満州事変以上にはるかに大きかったのです。特使として派遣された松岡洋右は相手国の中国のみならず、機密費をふんだんに用いて英米仏伊の情報も幅広く収集し、日本側の譲歩がどの程度必要であるかを正確に分析しました。最終的には英国総領事の仲介で停戦協定にこぎ着けました。

 次は35年の満州国の北満鉄道の買収です。売り手のソ連の当初の要求は、6億2500万円でした。交渉実務者だった杉原千畝は白系ロシア人の情報網を駆使して鉄道施設の老朽化など経済価値の下落を指摘し、最後は1億4000万円まで値引きさせました。日本が最初から想定していたのは5000万円以上1億5000万円でした。交渉成立は日ソ関係の緊張緩和と満州国の安定にもつながりました。陸軍の一部が主張していた対ソ早期開戦論を抑え込んだ功績の方が大きかったでしょう。

 ――杉原は後年リトアニアに赴任していた時にユダヤ人にビザを発行し多くの生命を救ったとされています。機密費外交には、やり過ぎもあったようですね。リットン調査団は、最初は日本側の接待に満足していても、後には宴会を抑制するように日本側に要望しました。

 機密費が無ければ外交はできない、そうだからといって機密費があれば相手国を意のままに操れるものではないということです。外交政策自体に齟齬(そご)がおきれば効果も発揮できないことになります。当初は日本に理解を示したリットン調査団も、国際協力で中国の経済改革を進める提案を日本側が拒否したことで、対応を変化させていきました。

 機密費は手段であって目的ではありません。満州事変の停戦協定後の広報外交は、中国国民に日本の立場をアピールしながら日中親善を演出するものでした。経済関係の進展を望む中国政府の「親日派」と外務省との間には、信頼醸成と提携関係が生まれ、機密費も金額も用途も増大しました。

 次に必要だったのは、「親日派」に対する具体的な支援策や経済提携でした。ところが逆に現地の日本軍は中国の領域を侵食する「華北分離工作」を進めました。

 支援の遅れによって、期待が失望に変わり、中国ナショナリズムは「親日派」を非難するようになりました。結局中国政府内の「親日派」は没落し、37年の盧溝橋事件から日中戦争に拡大しました。もし中国政府内に健在だったらならば全面戦争は回避できたでしょう。

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