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大宰相・吉田茂の「負の遺産」と次の10年 細谷雄一・慶応義塾大教授に聞く(下)

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19世紀的な自由主義、「自助」の面で課題を残す

 ――現在の米国外交にも当てはまりそうですね。

 しかし米国を批判することと、反米的なイデオロギーを主張することは異なります。独善的な占領政策に、時には閉口しながらも米国と協力する必要は理解していました。外交官出身の吉田にとっては、どんなに不満があってもその中から最大限の国益を引き出していくのは、自然に行えることでした。吉田は滞英中の経験として、英国人は米国人の英語やマナーについてよく悪口を言うが国民的な反米感情とはほど遠いと観察しています。

 ――吉田内閣の最大の功績は、やはり占領を終了させ独立を回復させたことでしょうか。

 外交史家の五百旗頭真氏は「親米の枠を明らかにし、米国の懐に飛び込みながらイエス・マンではなく自立性と交渉力を示した」と評価しています。経済力が回復する以前の再軍備を拒否し、内政へのより大きな改革要求にはしぶとく抵抗しました。講和条約は賠償金など懲罰的な項目を含まず、「寛大、公正、和解」が基調となりました。現実の国際政治で「力の真空」は大きな混乱を生みます。日米安保条約は平和を維持するためにも必要でした。

 ――逆に吉田外交の負の遺産は何でしょうか。

 国際政治学者の高坂正堯氏は「新しい状況の認識によって動かされるよりは昔からの信念に基づいて行動したように思われる」としています。吉田の信念は19世紀的なレッセフェール(自由放任主義)でした。政府が企業や個人の経済活動に干渉せず市場のはたらきに任せることを指します。通商を拡大して自己利益を追求していけば国際協調が生まれるというもので、英国の古典的な自由主義の原則です。

 ただ古典的な自由主義にはもうひとつ「自助」という原則があります。それを手掛けなかったことが負の遺産です。吉田自身も意識していました。政界引退後の著書からは、国力の発展と安全保障環境の変化で、自分の政策が修正されるのを期待していたことが読み取れます。いわば今日まで残る吉田からの宿題でしょう。

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