BizGateリポート/人材

「強盗」と呼ばれた経営者のアート開眼 忙しいビジネスパーソンのためのアート講座(3)

記事保存

日経BizGate会員の方のみご利用になれます。保存した記事はスマホやタブレットでもご覧いただけます。

 「強盗」と呼ばれた経営者がいた。東京急行電鉄を中核とする東急グループを築いた五島慶太(1882~1959)だ。鉄道事業と都市開発を一体化させ、首都圏の西南部を網羅する私鉄王国「大東急」を作りあげた。しかし、その武器となった経営手法は、競合企業を次々とM&A(合併・買収)で傘下に収める強引なもので、名前をもじって付けられた異名が「強盗慶太」。一方、五島は古写経などに一流の鑑識眼を持つ日本美術の大コレクターでもあった。昭和史に大きな足跡を残した辣腕経営者のアート開眼の軌跡を追った。(文中敬称略、写真は国宝・源氏物語絵巻の一部、五島美術館蔵)

先輩コレクター経営者、小林一三の影響大きく

 五島慶太が弊紙「私の履歴書」に登場したのはコラム開始直後の56年4月。「七十四歳の今日まで、とにかく『強盗慶太』の異名を頂戴するくらいであったから、事業のための私であり事業あってこその生涯」という書き出しだった。強盗のニックネームを、五島本人はむしろ気に入っていたようだ。連載中には「あたかも札束を持って白昼強盗を働くような仕儀で買収……」といった表現もある。三越買収、白木屋乗っ取り、地下鉄買収、箱根山戦争……。昭和期の多くの経済エピソードに五島の名前は欠けることがない。

 こうした五島像からは、深遠な美術の世界は遠く離れている印象を受ける。それでも「旦那芸」にとどまらない一流の美術品を獲得していった理由について、福島修・五島美術館主任学芸員は「俊逸な先輩コレクターの存在が大きかった」と指摘する。決定的な影響を与えたのが、阪急電鉄(現・阪神阪急東宝グループ)の創設者・小林一三(1873~1957)だ。五島美術館では五島と小林のコレクションをテーマに特別展「東西数奇者の審美眼」(12月9日まで)を開催している。

 鉄道院からビジネス界に転じた五島を1921年、目黒蒲田電鉄(東急電鉄の前身のひとつ)に招いたのが小林だった。小林は、鉄道を起点とした沿線開発を一体的に進める私鉄経営モデルの原型を独自に作り上げたとされる。五島はまず小林の経営モデルを吸収した。小林は古美術の研究や鑑賞を目的とした経済人らの集まり「延命会」にも五島を誘った。

 五島のアート開眼は、四十代半ばの大正末期から昭和初期にかけて、播丹鉄道、参宮急行、大阪電気軌道(現在の近畿日本鉄道)などの経営にも関わるようになったのがきっかけだった。定期的に関西へ出張し、福島学芸員は「合間を縫って小林らとともに京都・奈良の古刹を巡ることを何よりの楽しみにしていた」という。五島は「早い話、お寺へ出かけたと同じ雰囲気を、自分のぐるりにつくりだそうと考えた」としている。古寺巡礼でもたらされた精神的安定が激しい事業を支え、スケール大きい経営手法がそのまま大コレクション形成に役だった。

閲覧履歴

    クリッピングした記事

    会員登録後、気になる記事をクリッピングできます。