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香港グルメ、「イノベーション」の40年

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協力・香港特別行政区政府

 沢木耕太郎氏の名作「深夜特急」は1970年代の香港からスタートする。飲茶(やむちゃ)や夜店の食事シーンからは、現地のエネルギッシュな空気が伝わってきて実に美味(おい)しそうだ。あれから四十数年、東京では「香港ウィーク」が開催されている(11月11日まで)。国際金融センター・香港のもうひとつの顔は、世界屈指の「グルメシティー」だ。多彩なアジア料理が欧米でも関心を集めている現在、美食の街・香港の存在感はさらに増している。もちろん一朝一夕に成ったものではない。香港における「食の達人」らによるイノベーションの歴史を追った。

「ヌーベルシノワ」を準備した香港産業構造の変化

 今年は中国の「改革・開放」政策から40年。香港政治史を研究する東京大学大学院の谷垣真理子教授は「香港が中国大陸への『ゲートウエー』の役割を担ったことが、グルメ都市の形成に大きな意味を持った」と分析する。1970年代までの香港は、繊維・玩具などの輸出を中心とした軽工業都市だった。

 開放政策の進展に先んじて香港は産業構造の大きな変革に直面した。生産拠点を隣接する珠江デルタなどに移転する一方、香港エリア自体は金融や貿易、物流、観光などのサービス産業に特化していった。谷垣教授は「香港観光の売り物が『100万ドルの夜景』だけでは物足りない。行政が美食コンテストなどを催して、食のイノベーションを促進させたのではないか」と指摘する。

 もともと香港は「食在広州」と称される広東料理が主流の美食エリア。80年代半ばに香港大学に留学した谷垣教授は、同大の女子学生がお化粧や身なりにさほど構わない一方で、食に関しては驚くほど関心を示したのを記憶しているという。1949年の中華人民共和国の成立から50~60年代の大躍進政策、文化大革命に至るまでの激動期に、多くの人々が中国本土から香港に流入した。その中には上海の資本家とともに一流の厨房師らがいた。

 香港にはさまざまな地方の特色あるレストランができていた。広東料理そのものも広州、順徳、潮州、客家料理などが混ざった包容性・多元性が特徴だ。伝統的な中国料理を改革する、豊富な人材の蓄積は香港でできあがっていたのだ。

 「香港フード・エデュケーション」創設者で広東料理を研究するベアトリス・チャン氏は80年代における香港の経済成長が新しい中国料理「ヌーベルシノワ」を生み出したとしている。チャン氏は「中間層の増大ともに一般の人々の食への要求が高まり、海外からのビジネス客が国際的な食のトレンドを持ち込んだ」と指摘する。

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