天下人たちのマネジメント術

「江戸無血開城」陰の主役・山岡鉄舟の抜てき人生

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 幕末・維新の時代に、徳川幕府と明治新政府の双方から重用されたのが「江戸無血開城」の陰の主役・山岡鉄舟(鉄太郎、1836~88)だ。しかも戦火を交えた敵味方の政権から、ともに人格の高潔さをたたえられるという、史上稀(まれ)に見る生きざまだった。山岡鉄舟の軌跡は現在のビジネスパーソンにも、さまざまなヒントを与えてくれそうだ。「山岡鉄舟 決定版」(日本経済新聞出版社)の著者、小島英記氏に聞いた。

西郷隆盛が「金もいらぬ、名誉もいらぬ……」と評価

 ――西郷隆盛(1828~77)をして「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困る」と言わせたのが山岡鉄舟とされています。1968年(慶応4年=明治元年)3月に、官軍を率いて江戸に迫る西郷と、駿府(静岡市)で最初に直談判したのが鉄舟でした。

 西郷は「始末に困る人なければ、共に天下の大事を誓い合うわけにはいかない」と高く評価しました。鉄舟は、西郷と勝海舟(1823~99)との江戸城明け渡しの会談にも同席しました。貧乏な旗本出身ですが剣・禅・書に通じた無私無欲なサムライでした。

 鉄舟の特徴は目先の利害損失を度外視した人間性にありました。西郷も事を成就するためには、自分の生命を投げ出してかかる傾向がありました。西郷は鉄舟の中に相通じるものを感じたのかもしれません。

 ――鉄舟の人間性を鍛えたものは何だったのでしょうか。

 少年のときから生涯続けた剣の修行が大きく影響したのでしょう。若い頃は寝ても覚めても剣道を考え、道を歩いていても竹刀の音がすれば飛び込んで試合を申し入れ「鬼鉄」と呼ばれました。

 剣道は単に試合に勝つとか段位が上がるといったものだけではありません。鉄舟にとっては「心胆を練る」精神修養の場でした。禅も修行し剣禅一如の境地を目指しました。晩年の1885年には「一刀正伝無刀流」の開祖となり、近代剣道にも大きな影響を与えました。

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