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「満州事変」石原莞爾は悲劇の将軍か

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 昭和期の軍人で、現在も関心が高いのは海軍の山本五十六元帥と陸軍の石原莞爾中将だろう。1931年(昭和6年)9月18日、満州(中国東北部)に駐屯していた日本の関東軍は謀略で満州事変を勃発させ、約5カ月後にはかいらい国家「満州国」を建国した。この武力紛争を計画した首謀者が、関東軍作戦参謀の石原中佐(当時、1889~1949)だった。

 日本陸軍史上、最高の司令官ではないにせよ、最も天才的な戦略家だったのは確かだ。石原は、日本列島の約3倍の国土を持つ新国家誕生のヒーローと称賛される一方で、陸軍内部の権力闘争には敗れ「悲劇の将軍」とも呼ばれる。組織のワクを超えた人材をどう扱うか、波乱に満ちた石原の軌跡には、現代ビジネスパーソンへのヒントもいろいろ詰まっていそうだ。

若い頃から抜群の知的能力を発揮

 日本政治外交史研究の戸部良一・帝京大教授は石原莞爾を「若い頃から抜群の知的能力で知られていた」と語る。山形県鶴岡市で生まれた幼少時より、才気煥発(さいきかんぱつ)さと周囲との同調に関心を払わない傲岸不遜な性格は目立っていたようだ。1918年に陸軍大学を次席で卒業し、軍事研究のため23年から3年間ドイツに駐在し、帰国後は陸大教官となった。

 石原といえば、戦場を駆け回る参謀将校のイメージが強い。しかし長く防衛大の教壇にも立った戸部教授は「陸大で軍事研究家としても石原は大成しただろう」と指摘する。ユニークなのは戦争に「殲滅(せんめつ)戦略=決勝戦争」と「消耗戦略=持久戦争」の2つの性格があり、歴史上交互に現れると分析した点だ。

 石原から見れば、18世紀の欧州ではフリードリヒ2世の消耗戦の後にナポレオンの殲滅戦が出現した。ならば20世紀は持久戦争の第1次世界大戦の後に来るべき第2次世界大戦は決勝戦の性格を帯びるはずだった。さらに古代以来の戦闘隊形が「点」から「線」、「面」へと進化してきたと分析し、次の世界戦争は「体」となるとした。主力兵器としての飛行機や潜水艦の登場がこの予想を裏付けていた。

 石原の戦略論が同時代の軍人や民間人を魅了したのは、会戦における「戦術」段階の延長ではなく、国家戦略のレベルにまで引き上げていたからだろう。自らが信仰している日蓮宗の教理も取り入れて「世界最終戦論」を完成させた。日蓮宗は石原にとって「国家の犠牲になることを、多くの将兵に納得させられるかどうかという、職業軍人のあり方に確信を与えたもの」と戸部教授は言う。

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