学校で教えない経済学

世界恐慌を予言した人たち~金融緩和がはらむ反動リスク

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 2008年秋のリーマン・ショックから10年。世界経済や金融システムは息を吹き返しましたが、新たな危機の予兆も見え隠れします。背景にはこれまで低金利に支えられた世界経済が、米国の利上げで曲がり角を迎えるのではないかとの懸念があります。

 リーマン・ショック以降、主要国の大規模な金融緩和が長らく続くなか、新興国には大量のマネーが流入しました。しかし経済が好調な米国が2015年末から7回に及ぶ利上げを実施したことで、緩和マネーが米国に向け逆流しています。一方で、足元の世界景気はなお拡大しています。

 こうした現状から連想されるのは、1929年10月のニューヨーク株暴落をきっかけに起こった世界恐慌です。当時、恐慌が襲う直前、世界経済は好景気に沸き、米国は利上げに転じていました。

 世界恐慌をほとんどの専門家は事前に予測できませんでしたが、一部には早くから経済危機のリスクを察知し、警鐘を鳴らした人々もいました。その出身国にちなみ「オーストリア学派」と呼ばれる経済学者たちです。

 その一人は、のちにノーベル経済学賞を受賞するフリードリヒ・ハイエクです。1929年初め、オーストリア景気研究所の所長を務めていたハイエクは、研究所の月報に発表したいくつかの論文で、米景気は数カ月以内に崩壊するだろうと警告しました。長期の金融緩和で景気を過熱させてしまった米連邦準備理事会(FRB)が、もはや手遅れになってようやく引き締めに転じると決定したからです。

 ハイエクは1975年のインタビューで当時をこう振り返ります。「私の確固たる経済理論をもって確信したことは、インフレ景気を維持することは不可能であることである。そういった一過性の景気はいわゆる見せかけの仕事を生み出し、しばらく人は仕事にありつけるが、遅かれ早かれその景気は急落してしまうものだ」(ロバート・P・マーフィー『学校で教えない大恐慌・ニューディール』。表記を一部変更)

 恐慌前、FRBは金融緩和の大義名分として、物価の下落を食い止めることを掲げました。今風にいえばデフレとの戦いです。これに対しハイエクは、物価下落を防ぐためのマネー注入こそがバブルとその反動による恐慌をもたらすと批判しました。

世界恐慌に早くから警鐘を鳴らした「オーストリア学派」

 ハイエクの先生であるルートヴィヒ・フォン・ミーゼスは早くも1924年の段階で、オーストリアの大銀行が経済危機で破綻することを予見します。毎週水曜日の午後、教え子とウィーンの街を散策し、大手銀行クレジット・アンシュタルトの前を通り過ぎるたび、「そのうちにひどい破滅がやってくる」と話しました。ミーゼスは1928年に公表した論文でも「経済危機が遅かれ早かれやって来るのは明らかである」と述べます。

 1929年の夏、ミーゼスはクレジット・アンシュタルトから高い地位を提供したいと打診されますが、断ります。理由を尋ねる妻にミーゼスはこう答えました。「破滅の時は近い。どんな形であれ私の名前が破局と関連づけられることを望まない」(ラース・トゥヴェーデ『信用恐慌の謎』)。

 事実、同年秋のニューヨーク株暴落の影響が海外に波及した結果、クレジット・アンシュタルトはミーゼスの予言どおり、1931年に倒産します。オーストリアの金融不安はただちに隣国ドイツに飛び火し、多くの銀行が取り付け騒ぎに見舞われました。

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