天下人たちのマネジメント術

陸軍「秋丸機関」が戦後に果たした役割 摂南大学・牧野邦昭准教授に聞く(下)

記事保存

日経BizGate会員の方のみご利用になれます。保存した記事はスマホやタブレットでもご覧いただけます。

 ――秋丸機関の活動は太平洋戦争が始まると事実上停止して42年末に解散しました。しかしメンバーはその後もさまざまな局面で活躍しました。

 「慶大の武村忠雄は海軍のブレーンにも迎えられ、陸海軍に自由に出入りできる特異な存在でした。43年末に独ソ米英の経済力を分析して、翌年のノルマンディー上陸作戦の可能性を的中させています。ドイツの抗戦力も45年には全く消滅すると結論しました。岳父の近衛文麿の意を受けて情報を収集していた細川護貞(細川元首相の父)は当時武村の分析を聞いて『学問というものは、これほど詳しく将来の予測ができるものかと、実に驚いた』と回想しています」

■「傾斜生産方式」の実現に生かした秋丸機関の教訓

 「武村は戦後大学を教職追放となりましたが、日本経済復興協会(現・日本経済協会)の理事長として景気予測と対処を会員に指導することに力を注ぎました。秋丸機関で手掛けた生産力を基礎にした分析の経験を生かしたのでしょう」

 「有沢広巳は第1次吉田茂内閣で経済安定本部の初代長官に推されたものの辞退。しかし中山伊知郎や東畑精一、茅誠司らとともに、吉田首相のブレーンとして活躍しました」

 ――吉田内閣の「傾斜生産方式」は有沢教授が、秋丸機関での研究を基に立案した経済政策といわれます。産業の基盤である石炭に優先的に資源を割り当て、石炭と鉄鋼の増産を交互に繰り返すことで経済全体の再生拡大を進める構想です。戦後復興に役立ったと評価されています。

 「最新の経済史研究では傾斜生産方式の効果に否定的です。現実の石炭産出量増加は鉄鋼との相乗効果ではなく、労働力の大量投入と労働強化によるものであったとされています」

 「有沢の狙いは実は別なところにありました。米国からの重油輸入です。自助努力を求めるGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に対して『日本人が国内の資源を用いて経済再建に努力している』という政策を提示して信用され、本当に必要な重油の輸入を求めることが狙いでした」

 「実際、1948年からの日本経済の生産回復には重油の緊急輸入と米国のエロア(占領地経済復興援助資金)による原材料輸入に対する援助が強く影響していました」

 「秋丸機関の精緻な調査結果は、残念ながら戦争回避に役立ちませんでした。客観的な数字だけでは生きた経済は動かないのです。有沢はその経験から『傾斜生産方式』というレトリック(修辞)でGHQを説得しました。さらに『新しいことをやる』と宣伝することで敗戦後の国民を勇気づけ、労働意欲を引き出しました。それらが経済復興につながったのです」

(聞き手は松本治人)

閲覧履歴

    クリッピングした記事

    会員登録後、気になる記事をクリッピングできます。