天下人たちのマネジメント術

「悲劇のインパール作戦」を生んだ牟田口・河辺・東条

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同調しない者は「消極的」「臆病」

 ――インパール作戦を参謀本部は「無茶苦茶の積極案」と問題視していたといいます。

 「目的はビルマ防衛なのに、深くアッサム地方にまで侵入しようとしていました。戦略的急襲にすべてをかけ、予定通り進まない場合のコンテンジェンシー・プラン(不測事態対応計画)がありませんでした」

 「敵戦力を過小評価して補給を全く軽視していました。2000メートル級の険しい山岳、大量の雨量、マラリヤやアメーバ赤痢のまん延、橋もない貧弱な交通網といっった現地の条件もほとんど考慮されませんでした」

 「『英印軍は中国軍より弱い』が牟田口の言い分でしたが、英軍に制空権を握られており作戦の内容も把握されていました。それでも電撃的に作戦を終了させようという予定でした。杜撰(ずさん)な計画としか言いようがありません」

 ――幕僚たちは作戦の欠陥を指摘しなかったのですか。

 「軍司令部のほとんどの幕僚が反対でしたが、参謀長は約2カ月で解任されました。同調しない者は消極的だ、臆病者だと叱責し、罵倒しました。上部組織のビルマ方面軍、南方軍からも補給路を重視するよう勧告しましたが、牟田口は自分が実戦経験で勝ると考えていました。『マレー作戦の体験に照らしても果敢な突進こそ戦勝の近道』と譲りませんでした」

 ――牟田口を抑えようとしない上官に問題がありますね。

 「インパール作戦の失敗は牟田口だけでなく、その上官の河辺正三(まさかず)・ビルマ方面軍司令官の責任も重大です。河辺は盧溝橋事件でも牟田口の上司であたる旅団長でした。当初は現地の話し合いで解決する方針でしたが牟田口の出撃命令を追認しました」

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