天下人たちのマネジメント術

最新の行動経済学が解く日米開戦の謎 摂南大学・牧野邦昭准教授に聞く(上)

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正しい情報と判断力があっても……

 ――逆説的になりますが、1人のワンマン経営者であればリスキーシフトの危険は避けられることになりますね。

 「戦時中のスペインがそうでした。独裁者のフランコ将軍は、独による英本土侵攻作戦が失敗した後は、いくらヒトラーが要求しても対英開戦を拒否し続けました。戦後に『冷戦』が始まると、米英側からスペインに接近しました」

 ――日本もスペインのような形で戦わない方が良かったのですね。

 「戦後の吉田茂首相が外務省に作成を指示した外交検証文書では、親枢軸国でありながら中立を維持し、冷戦によって米国と関係改善する選択肢にも言及されています。隠忍自重した方が、チャンスがより合理的だったというものです」

 「しかし戦前の日本は天皇、政府、陸軍、海軍、重臣、議会と多元的な勢力が林立する政治体制でした。集団意志決定にならざるを得ませんでした。ある有力な外務省OBは日本がスペインにようになれたとすれば『内戦またはそれに近い変動を経て全軍・全政治勢力を統括しうる独裁的指導者を持ったときのみ』と指摘しています」

 ――対米世論の硬化も影響したのではないですか。組閣時の東条首相が、陸相とともに内務大臣も兼任したのは、全国の警察を掌握して米国との非戦に決まった場合の混乱に備えたからだといいます。激高した世論が起こすであろう騒擾(そうじょう)状態を予想していました。

 「昭和天皇も、米国にむざむざ屈服すれば世論が沸騰しクーデターが起きる恐れを懸念していました。こうした中で、開戦を回避することは国力低下を確定させてしまうため選ばれず、静岡県立大の森山優教授の言葉を借りれば、将来どうなるか分からないにもかかわらず、ではなく、どうなるか分からないからこそ、指導者は開戦に合意できたのです」

 ――東条首相は退陣後も「開戦の可否に関しては今でも日本はあれより進む道がなかったと信じている」と主張していました。ただ個々の戦略は反省すべき点が多かったと述べていました。

 「米国との戦争は、根本的に戦略で解決できる問題ではありませんでした。典型例がゲーム理論の分析などでよく使われる43年のビスマルク海戦です」

 「日本の輸送船団を護衛してどのルートを通過すべきか、陸海軍で激論になりました。しかし結果は最善と考えられたルートを選んだにもかかわらず、圧倒的な米軍の空軍力によって壊滅させられました。戦略の適否が勝敗に結びつくのは、両者の力がかなり拮抗したケースです。戦略を考えるのは重要ですが、実際には戦略の判断材料である数字を改善した方が良いのです」

 ――日米開戦に至る歴史から現在の我々が学べることは何でしょうか。

 「東北学院大の河西晃祐教授の言葉を借りれば、日本の国力を過信していたわけでも米国の国力を過小評価していたわけでもない指導者らによって戦争が選択されました。正しい情報と判断力があれば戦争が回避できるとは限りません。付け加えるならばそれがどんな知的エリートであっても、です」

(聞き手は松本治人)

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