天下人たちのマネジメント術

日本海軍、論理的に選択した致命的ミス

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論理的に対応するも大局を見失う

 永野は、もちろん戦機の喪失も避けたかった。時間の経過は太平洋圏における英米の軍備充実と自軍の石油の減少を意味した。陸軍との抜き差しならぬ衝突や、反米世論に押されての一種の内乱状況も避けたかった。それらへの対応が大局を見失う結果になった。

 自らの所属する部門が、3年後には無意味になると自らリストラを言い出せる組織人は、恐らく現代でもいないだろう。海軍のメンツを潰さずに、宮中や陸軍に真意を伝える政治的テクニックはなかったのだろうか。しかし予算面などで組織的利害を賭けてしのぎを削りあってきた陸軍指導層は、海軍の窮地を察する心境からは、ほど遠かった。

 陸軍にとって対米戦は第一義に海軍の戦争、隣の部署の重要案件だった。だから日米交渉での譲歩を、頑強に拒否し続けられたといえる。海軍にとって中国からの撤兵問題が、陸軍の戦争だったのと同じ構図だ。「陸軍が対米開戦を自らの問題ととらえ、海軍も中国撤兵問題を他人事と等閑視しなければ違った展開になっていたかもしれない」と森山教授は指摘する。

 もし開戦の決定が半年でも後ズレしていたら日米戦争は起こらなかっただろう。実際枢軸国側のスペインは、独による英本土上陸作戦が失敗したことを見届けた後は、ヒトラーが何度催促しても連合国側との戦争を拒否し続けて戦後を迎えた。42年半ばには独ソ戦の天王山「スターリングランドの戦い」も結末が見え始めていた。日本単独で米英ソらと戦争する決断は下せなかっただろう。

 ただ永野が最も恐れたのは石油が枯渇した段階で、米国と戦わずして軍門に下ることだっただろう。永野が「よく勉強している」と信頼していた中堅幹部の1人は「米国の東洋侵略は必至と思い込んでいた」という。永野も同じで「あり得ないものにおびえてしまった」(森山教授)。

 永野は米ハーバード大に留学し、在米大使館にも勤務、軍縮交渉にも参加した。それらのキャリアは重大局面を前にしたとき役立たなかった。表面上は知米派でも、実際の判断を助けとなるほどには米国の本質や動向を把握しきれていなかったのだろう。森山教授は「自分の経験した範囲内でしか将来を想像できなかったことが、致命的な判断ミスにつながった」としている。

(松本治人)

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