天下人たちのマネジメント術

日本海軍、論理的に選択した致命的ミス

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全くブレなかった永野の早期開戦論

 東条内閣の賀屋興宣蔵相は、このまま事態が推移すればどうなるかについて永野に執拗に問いただしたという。もし3年後に米軍が来攻して来なければ、日本は全く無意味な戦争に自ら飛び込むことになる。

 しかし永野の回答は、米国が攻めてくるかどうかは不明だが、直ちに戦争に踏み切って地盤を取っておいた方が3年後に攻めるより容易だ、というものだった。当初は「あまりに単純」と冷眼視されていた永野の主張が、結果的に指導者間で大勢を占めるようになった。森山教授は「どうなるか分からないにも関わらず、ではなく、将来どうなるか分からないからこそ、指導者たちは合意できた」としている。

 「永野の対米戦に関する主張は7月から全くブレていない」と森山教授。それは開戦自体が目的として追求されたからではなかった。森山教授は「戦争以外の選択では起こるかもしれない困難を避けるたけに、やむを得ず選ばれた性格が強かった」と結論する。

 永野自身が第一に避けようとしたのは海軍がメンツを失うことだった。対米戦に自信なしと正直に告白すれば、海軍そのものが存在意義を失う。しかし無論勝てるとも思えない。森山教授は「この状況を切り抜ける絶妙な言い回しが『戦機は今、3年後不明』だった」としている。

 結果責任を海軍だけで負わないように、永野は開戦か臥薪嘗胆(がしんしょうたん)かの最終選択を東条内閣に任せた。「政府一任」である。軍は政治に従うべきという「サイレント・ネイビー」の伝統に従った反面「明治憲法下で定められた、天皇に対する統帥部の軍事的な補佐責任を放棄したことにもつながった」(森山教授)。1人の人間に正反対の役割を期待するという、当時の組織文化の限界を示した形だ。

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