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「征夷大将軍」たちのフェイクニュース 呉座勇一・国際日本文化研究センター助教に聞く

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 武士が歴史の表舞台に登場し、覇権をかけて激しく戦った時代が日本の中世だ。知略を尽くして厳しい競争に勝たなければならないのは、現代の企業社会でも同じ。幕府を開いた初代征夷大将軍の源頼朝、足利尊氏、徳川家康らの軌跡には、経営戦略に応用できる成功のヒントが隠されていそうだ。しかしフェイクニュースや昔からの俗説に惑わされていると、せっかくの歴史の教訓も生きてこない。最新研究の成果を生かして「陰謀の日本中世史」(角川新書)を著した呉座勇一・国際日本文化研究センター助教に聞いた。

追い詰められて挙兵した源頼朝

 ――日本史上で初めて権力の頂点に上り詰めた武士は、「保元・平治の乱」(1157、59年)に勝った平清盛でした。

 「保元の乱は『政権側からのクーデター』でした。後白河天皇側の藤原信西が崇徳上皇、藤原頼長らを挑発し、事変の責任を押しつけました。崇徳上皇と頼長は、政権転覆を相談できるほど親しい間柄ではなかったのです」

 「平治の乱では『朝廷内のトラブルを武力クーデターで解決する』という手法をそのまま応用して、藤原信頼・源義朝が信西を打倒しました。しかし今度は信西の盟友だった清盛が反転攻勢して信頼らを破りました」

 「信頼・義朝は極秘にクーデター計画を進め、清盛が京都を離れたスキを突いて挙兵し、信西を一気に滅ぼしました。しかし秘密裏に遂行しなければならないために、参加者を限定せざるを得ず、京都の軍事制圧が精いっぱいで清盛討伐に割ける兵力はありませんでした」

 「クーデターに成功したものの、信頼らには権力を維持する工夫が欠けていました。具体的な政権構想がありませんでした。これでは公家社会から、クーデターの正統性を認められるわけがありません。しかも自分らが主導権を確立してしまえば、清盛の協力も得られるだろうという、極めて甘い見通しでした」

 ――その平氏を滅ぼして初めて幕府を開いたのが源頼朝です。

 「頼朝は以仁王による反平氏の挙兵に応じたわけではありません。1カ月以上も静観していました。平氏の圧迫が増してきて、『逃亡した方がいい』と勧められるほど討伐される恐れが強まってきたため、反乱に踏み切ったのです」

 ――平氏滅亡の最大の功労者だった源義経を追い詰めて滅ぼすなど、頼朝には冷酷な政治家のイメージが定着しています。

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