トヨタ対フォルクスワーゲン ~2強の激突

不確実な時代のリーダーの憂鬱 トヨタイズムとピエヒイズムの戦い 中西孝樹 氏

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 その後、副会長に祭り上げられた渡辺は、拡大主義が原因とされた品質問題の責任を取る形で会長職に就くことなく、2011年に相談役に退いた。渡辺の懐刀といわれ、実力副社長として同社の収益拡大の陣頭指揮をとり、社長候補ともいわれた木下光男は子会社のトヨタ車体会長に転出、その後豊田通商の会長に就くが、2013年7月に67歳の若さで鬼籍に入った。奥田碩の秘蔵っ子として頭角を現し、経理部門を束ねてきた鈴木武専務(現あいおい同和損保代表取締役会長)は、一時的にとはいえ、トヨタファイナンシャルサービスの社長への横滑りとなった。

ピエヒの支配力は頂点を迎える

 ポルシェAG(自動車事業会社)のウェンデリン・ヴィーデキングCEOもまた、窮地に立たされていた。2008年10月、世界経済が米国発の金融危機の脅威にさらされ始めたとき、ポルシェAGが13倍も規模が大きなVWを呑み込もうとする買収プロセスも最終段階に差しかかっていた。しかし、VWの普通株式の42.6パーセントまで出資比率を買い増したと公表した直後、VWの株価が暴落を始めたのだ。

 2005年から粛々と進めてきた買収劇であったが、最終段階にきて世界の経済情勢が大きく変化してしまった。ポルシェの自動車販売は米国市場が崩壊し、激減に歯止めがかからない。買収資金を生み出すために仕込んだプットオプションが膨大な損失を生み出し、ポルシェは巨額の赤字に転落することが不可避な情勢となる。銀行も自分を守るのが精一杯の状況で、遂には資金繰りにも行き詰まり始める。倒産の2文字がヴィーデキングの脳裏をよぎる。メダカがクジラを呑み込もうとする無理の中で、ヴィーデキングはオプション取引というマネーゲームに手を染め、巨額の利益を買収資金につぎ込んでいたことが命取りとなったのだ。

 2009年5月、ポルシェの金融危機を収めるため、創業家ポルシェ博士の孫であるフェルディナント・ピエヒ監査役会会長の主導で、VWはポルシェを救済する形で経営統合することを決定した。ポルシェAGはVWの100パーセント子会社となり、VW傘下のブランドとなる。この経営危機の中で、ピエヒは対立するヴィーデキングを追放し、一族が支配するポルシェオートモービルホールディングSE(VW、ポルシェAGの持ち株会社)へのピエヒ家の出資比率を買収事件前の38パーセントから大幅に引き上げることに成功した。ポルシェオーモティブSEはVWを50.7パーセント支配し、VWはポルシェAGを100パーセント所有する。ピエヒの支配構造が完成した。

中西孝樹 著『トヨタ対VW(フォルクスワーゲン)』(日本経済新聞出版社、2013年)「第1章」から
中西 孝樹(なかにし たかき)
(株)ナカニシ自動車産業リサーチ代表。1994年以来一貫して自動車業界の調査を担当し、日経金融新聞・日経ヴェリタス人気アナリストランキング自動車・自動車部品部門、米国Institutional Investor(2)自動車部門ともに2004-2009年までに6年連続1位と不動の地位を保った。2011年にセルサイド復帰後、日経ヴェリタス人気アナリストランキング、2ともに自動車部門で2013年に第1位。1986年オレゴン大学ビジネス学部卒。山一證券、メリルリンチ日本証券等を経て、2006年からJPモルガン證券東京支店株式調査隊、2009年からアライアンス・バーンスタインのグロース株式調査部長に就任。2011年にアジアパシフックの自動車調査統括責任者としてメリルリンチ日本証券に復帰。2013年に独立しナカニシ自動車産業リサーチを設立。

キーワード:技術、経営、経営層、イノベーション、管理職、ものづくり、グローバル化、国際情勢

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