グローバル競争時代のものづくり ~日本企業復権への10カ条

競争力とは何か?~変化に対応し世界を制したサムスン 東京大学大学院経済学研究科  ものづくり経営研究センター特任研究員 吉川良三 氏

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✕ サムスンやLGは日本のモノマネで安いから売れている
         
◯ サムスンやLGは日本のモノマネをやめたから躍進を遂げた

 日本では成長著しい韓国のサムスン電子やLG電子について、「しょせん日本のモノマネ。安いから売れているだけ」といった見方をしている人が多いようだ。携帯電話など一部の商品以外は日本ではなじみが薄いこともあり、いまだに「アジアの二流メーカー」という先入観を抱いている人もいるかもしれない。しかし、「競争力とは何か」を突き詰めていけば、サムスンやLGが急成長を遂げた理由が日本のまねをしたからではなく、むしろ、日本のまねをやめて、独自の道を選択したからということが分かるはずだ。

日本追随をやめ新興市場を開拓

 確かに1990年代初頭までのサムスンは、日本のメーカーに追いつけ追い越せとばかりに、"モノマネ"に近い製品を、日本より2、3割安い価格で販売する戦略をとっていた。しかし、グローバル競争時代の到来を前に、日本の後追いを続けていたのでは、世界市場で生き残っていくことはできないと考えたサムスングループの李健熙(イ・ゴンヒ)会長は、93年、「妻と子供以外はすべて取り換える」という言葉に象徴される大改革に着手した。筆者が李会長から「改革を手伝ってほしい」という要請を受けたのも、この年のことだ。以来筆者は、翌94年から2003年まで10年間にわたり、サムスン電子の常務として、グローバル企業へと脱皮を図る同社の改革の渦中に身を置くこととなった。

 そうしたサムスンの危機意識と変化を決定づけ加速させたのが、第1回の「"ゆでガエル"と化した日本企業」でも触れた、「朝鮮戦争以来最大の国難」といわれた97年の「IMF危機」(アジア通貨危機)だった。このときナンバーツーだったサムスンは「財閥解体」こそ免れたものの、グループ会社の数は140から83に縮小、グループ全体の従業員も16万人から11万5000人へと、約4万5000人も削減され、社員の間にも一気に危機意識が浸透することとなった。

 李会長が日本への追随をやめた背景には、90年代初頭のバブル崩壊以降、日本経済が「失われた10年」といわれる長期の低迷を続け、「日本のものづくりをこのまままねしていたのでは、日本と同じ道をたどることになるのではないか」という疑念を強めたことがある。一方で、当時は技術力がほとんどなく、「安かろう悪かろう」というイメージもあって、先進国でまともに日本と競っても勝ち目はない、という現実もあった。

 そこで当時李会長が課したのは、「日本と競合せず、人口が多くて、国内総生産(GDP)が5%以上成長している市場を探せ」という指令だった。その結果、目をつけたのが、中国、インド、ロシア、ブラジルだった。ゴールドマン・サックスが投資家向けリポートで「BRICs」という言葉を用いる以前の話だ。

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