孫子に経営を読む

兵とは詭道なり――サプライズこそ戦略 伊丹 敬之氏

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 たしかに、詭道という言葉には「人の道に外れた」感、その危うさがまとわりついている。だが、そんな解釈だけをしない方がいい。孫子がいいたいのは、奇のない戦略、虚のない戦略、致す部分のない戦略は、それらはすべて機能しない、ということである。「戦いは、正を以て合い」と孫子がいうとき、そこには正の戦略が基本という認識が確固としてある。その上での、奇の重要性なのである。

 さらに、孫子は計篇(第一)の冒頭で、「一に道」と戦さと政治の基本を説いている。この連載でも第2回ですでに取り上げた。その孫子が、あえてその後に、「兵とは詭道なり」と述べるのはなぜだろうか。

 基本は「正」であり、「道」であっても、それだけではじつは戦さは勝てない。それとは一見矛盾しかねない「詭」という要素を入れることによって、はじめて「正」や「道」が生きる。孫子がいいたいのは、そういうことではないか。

 あるいは、詭道とは、詭という要素を道に加えるべし、と読むべきなのかも知れない。

 それは、弁証法的止揚といえなくもないし、小さな悪を大きな善が包む、とも表現できるのかも知れない。戦さはたんなるきれい事だけでは済まない。しかし、清冽な部分が底になければ、長期的にはもたない。孫子はそういいたいのであろう。

 『孫子』は13篇からなっているが、その最後は「用●(もんがまえに月)篇」という、諜報活動を扱う篇である。スパイである。敵をあざむく一つの典型ともいえる。その間諜(●(もんがまえに月))を真に使える者とはどんな人か、について孫子は次のような含蓄のある言葉を残している。

「聖智に非ざれば●(もんがまえに月)を用うること能わず、仁義に非ざれば●(もんがまえに月)を使うこと能わず、微妙に非ざれば●(もんがまえに月)の実を得ること能わず」(用●(もんがまえに月)篇〈第十三〉金谷治訳注『新訂 孫子』岩波書店、179頁)

 その意味は、「聡明な思慮深さがなければ、仁慈と正義がなければ、微妙な心配りがなければ、間諜を使うことはできない」ということである。間諜という秘密の行動、人を裏切る行動をとる人を使うには、むしろ聖智や仁義や微妙な心配りといった人間として深い資質をもった人でなければならない、という。だまし、裏切るのは、表面のこと、短期のこと。しかし、奥深くには、長期的には、人間としての真実がなければならない。

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