不祥事は、誰が起こすのか

歴史に学ぶ――なぜ不祥事は起こるのか 植村修一氏

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世界史を動かした不祥事

 歴史が動くとき、国家や君主が事前に練り上げた戦略の結果というより、ちょっとした出来事がきっかけで、坂道を転げ落ちるように事態が進んでいくケースが、しばしば見られます。そのきっかけとなる出来事とは、まさに不祥事です。

 2014年は第一次世界大戦の勃発から100年目に当たります。1914年6月28日、オーストリア=ハンガリー帝国の皇太子フランツ・フェルディナンド大公夫妻が、ボスニアの首都サラエボで暗殺されたことをきっかけに、諸国間で総動員と宣戦布告が繰り返されました。しかし、どの一国も、その時点で大戦を予想し、準備したりはしていませんでした。

 要人が暗殺された場合、国家であれ軍隊であれ、組織の意思決定に支障や変更が生じることになりますが、同時にその組織の権威そのものが傷つくことになります。むしろこれが暗殺の目的とされることもあります。オーストリア皇太子暗殺の場合も、オーストリア=ハンガリー帝国の威信が大きく損なわれたわけですから、帝国の矛先は暗殺に関わったセルビア人グループを越えて、セルビア政府そのものに向かいました。

 結局、第一次世界大戦では、1000万人を超える多くの犠牲者を出しました。有名な戦略史家ベイジル・リデル=ハートは、『第一次世界大戦』(上村達雄訳、中央公論新社)の中で、「ヨーロッパを爆発寸前の状態にもってくるのには50年を要したが、いざ爆発させるには5日で充分だった」と述べています。

 日本でも暗殺が時代の流れを変えることは、しばしばありました。

 安政7年(1860年)3月3日、彦根藩邸を出て江戸城に向かう大老井伊直弼の行列が、桜田門外で水戸・薩摩の浪士18人に襲撃され、大老が命を落としました。その場で首を刎(は)ねられ、いったんは襲撃側に持ち去られるなど、幕府や彦根藩にとってあってはならない失態でした。浪士側で生き残った者が死罪などで罰せられたのは当然ですが、護衛した彦根藩士も、8人が死亡し、13人が負傷するなど、懸命に戦ったにもかかわらず、死罪や流刑などの処罰を受けました。

 この事件で幕府の権威は失墜し、諸藩や浪士たちに、幕府恐れるに足らず、との印象を植え付けました。幕府内部でも、一橋慶喜など井伊直弼に排除されていた人々が復活し、彦根藩は減封されました。不祥事はただの不祥事ですまされず、歴史を動かしていきました。

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