「論語と算盤」と現代の経営

『論語と算盤』は私の経営方針に合った理想とするものだった 守屋淳氏

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平松 まず岩崎弥太郎さんは、その商人道や理屈、あるいは人情みたいなものは、渋沢栄一さんとは真反対にいると思います。利益を上げて、会社は俺のものだと言いつつ、儲けだけを追及してきた。一方の渋沢栄一さんは、利益も大事だけれど、日本の社会や経済全体をゆったりと余裕を持って見ています。『論語と算盤』という発想は、岩崎弥太郎さんにはまずないだろうと思います。

 ただし彼は、52歳で亡くなってしまいました。最後の臨終の時に「私が雇った人をずっと大事にしてやってくれ」と言い残してもいます。このような精神を持っていたので、渋沢栄一さんのように77歳まで現役を続けて、92歳まで生きたとすれば、多分同じように公益や社会貢献、社会的な企業を育てることをきちんとやったのではないでしょうか。

 もう1人の大倉喜八郎さんですが、彼が徹底的に渋沢栄一さんと違うのは、どうやって儲けていくかを第一に考えた典型的な商人だったということです。

 最初は乾物屋をやって、それから鉄砲屋になっています。戊辰戦争の際、鉄砲や弾などを、官軍が現金で買ってくれれば官軍に売る。徳川方のほうで、現金を出すよといえば、徳川方でも売ってしまう。当時の商人は、節操がないと思われるようなことをやっていましたが、それが当時の商人のやり方だったのかもしれません。だから政商といわれて、なおかつ時の要人にぴったりくっついて儲けさせてもらってもいました。

 大倉喜八郎さんは、商を道としては考えてないと思います。要するに商売をきちっとやって儲かればいいということです。ただ1つ確実にいえるのは、その時代に一番求められた寵児で、大倉家の確立と日本の近代化を一代で築き上げて、そして瞬く間にその時代を駆け抜けていった人だということ。

 しかし、他の3人と違って自前の銀行を持ちませんでした。これではグループとしての構成はありません。渋沢栄一さんも銀行を持っていましたし、岩崎弥太郎さんも自分で銀行を作り、安田善次郎さんは今のみずほグループになった富士銀行を作っています。ところが大倉喜八郎さんには銀行を持つという発想がありませんでした。だから一代限りで、企業は残ってはいますが、大きなグループではありません。

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