「論語と算盤」と現代の経営

今は『論語』の解釈を考え直さなければならないタイミング 守屋淳氏

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守屋 ありがとうございます。ここで少し質問を変えさせて頂きまして、『論語と算盤』の一番のテーマのところをお伺いしたいと思います。渋沢栄一が唱えた『論語と算盤』は、非常に良い教えだと思うのですが、一方で『論語』というのは「公益=義」のために尽くしましょうと言っています。もう一方で「算盤」というのは、「私欲」を満たしましょう、ということを言っています。2つはどう考えても根本的に相矛盾しているのではないかと私自身は思います。もちろん、矛盾しているものを共存させるというのは、実は中国古典的な考え方ではあるのですけども、実際「お前やれ」と言われるとものすごく難しいと思います。

 社会や企業、個人の中で、こうした公益のために尽くすことと、私欲を満たすこととを共存させることが本当にできるのか。そして、それを為すために我々は何をしていけばいいのか、ということに関して、もしお考えがありましたら教えてください。

和田 事前にこの質問を守屋先生からいただきましたが、どれだけ難しい質問をする人なんだろうと思いました(笑)。

 今お話しした、時間の概念ではなく直ちに道が実現するということと、冒頭お話しした、渋沢栄一は『論語』を行動規範として使っていたということとは、私の中では繋がっていまして、『論語』という行動規範に基づいて動いていることが、すなわち道に適うという非常にナイーブなところがあったと思うんですね。

 一人ひとりが仁を実践すると、メカニズムがこうだから資本主義がこうなって、公益がこのように実現するとかいうロジカルなところではなくて、自分が思って行動して、思い=行動=道の実現で、そういう人達がいっぱいいたら、それはいい世の中じゃないかという、もの凄く良い意味での楽観主義なんじゃないかと思います(※6)。

 『論語』はもともとそうであったはずなのに、宋、江戸と来て、清貧の思想みたいになっていた。それは違うだろう、そんな読み方をしたのでは少なくとも当時の時代では力にならない。孔子は、得るなとは言っていない、得るなら道を以てせよと言っているだけだ(※7)。渋沢はそういう問題意識で彼流の解釈を説いてまわったのだと思います。一種楽観的で非常にチャーミングなところが共感できるし、あまり厳しい教えではないのでついていけるというか。私の理解力だとまだ、そこまでですね。間違っているかもしれません。

(※6)子曰わく、苟(まこと)に仁に志せば、悪(あ)しきこと無し。(里仁篇)

(※7)子曰わく、富と貴(たっと)きとは、是れ人の欲する所なり。其の道を以てこれを得ざれば、処(お)らざるなり。貧しきと賎しきとは、是れ人の悪くむ所なり。其の道を以てこれを得ざれば、去らざるなり。(里仁篇)

守屋淳 編著 渋沢栄一記念財団 監修『「論語と算盤」と現代の経営』(日本経済新聞出版社、2014年)2「『論語と算盤』は可能なのか」から
守屋 淳(もりや あつし)
作家、中国古典研究家。1965年東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒。大手書店勤務を経て、現在は中国古典、主に『孫子』『論語』『老子』『荘子』『三国志』などの知恵を現代にどのように活かすかをテーマとした執筆や企業での研修・講演を行う。主な著書・訳書に『現代語訳 論語と算盤』(ちくま新書)、『ビジネス教養としての「論語」入門』(日本経済新聞出版社)など。

キーワード:経営、企画、人事、経営層、人材、研修、働き方改革、経理、グローバル化、ESG

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