「論語と算盤」と現代の経営

今は『論語』の解釈を考え直さなければならないタイミング 守屋淳氏

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守屋 いま和田社長から「法の支配と法治主義」という観点を提示して頂きました。そもそも『論語』といいますのは、徳治主義だと言われています。要するに、リーダーが徳を身につけて、それによって下から信頼を得て、組織をまとめていきましょうという考え方なのですが、ここで「法の支配と法治主義」と対比されている意図を教えて頂いてよろしいでしょうか。

和田 はい、守屋さんが出した、『渋沢栄一の「論語講義」』という本があります。今から朗読しますけども、何10年か前の渋沢の文章が、まるで、今書かれたような内容なんです。

現代の為政者は何かと言えば、道徳を基盤とせずに法律で以って全てを裁断してしまうような本末転倒の趣がある。それもそのはず。日本法治国家となってから、もっぱら立法院の同意を得て法律を制定し、これを施行してしまえば全て完了という為政者が安直に考え、世の中の人もそれで良いと思ってしまう時代なのだ。しかも為政者としての地位を得るには、権謀術数を駆使して多数を占めなければならない。その足場の築き方が既に道徳を離れているため、与党にならないと何事も思うようにできない。だから自分の地位を守ろうと自分の派閥の人間を要職に据えて、政権も利益も独占し、党勢の拡張や選挙費用の捻出ばかりに熱心になる。この結果、敵対する党から、そのやり方に対して攻撃や質問が出れば、逆説や詭弁を弄してその場を誤魔化して恥とも思わなくなる。こういう人を称して、立憲政治家の標準像だという。私はそれでなぜ問題がないのか、全く理解できない。

 これは今と一緒ですね。政治主導という単語って実はすごく危険で、なぜ、立法するか、できるのかという正統性についての議論を端折ってしまっているんです。選挙で通ったので国民の負託は得ました、そこから先は思考停止でOK、というように見えます。これ、極めて危険な話なんですね。

 まあ、憲法改正がいいか悪いか意見を述べるつもりはないのですが、今、自民党が勝てそうだとなると、憲法改正の話がバーンと出てくる。もちろん憲法改正の手続きは、ご案内の通り国会だけで決まるものではございませんけれども、何のために、何を以て改正するかという原理原則が議論されず、選挙に勝つことが全てで、通ったら何でもアリ。国会の決めたことを運営する中で正しく修正していくのが官僚のはずですが、そのお前らも黙っていろというのが政治主導じゃないかなと感じているんです。我々国民自身がそれを是としてしまっているところにも問題があると思っています。

 『論語』じゃないですが、こんなことされても、国民は裏をかくようになるだけです(※2)。従って、根っこから考えないといけないのかなと思っています。

(※2)子曰わく、これを道びくに政を以てし、これを斉(ととの)うるに刑を以てすれば、民免れて恥ずることなし。これを道びくに徳を以てし、これを斉うるに礼を以てすれば、恥ありて且つ格(ただ)し。(爲政篇)

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