「論語と算盤」と現代の経営

今は『論語』の解釈を考え直さなければならないタイミング 守屋淳氏

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 キリスト教にプロテスタント等の派があるように、「論語 渋沢派」なのだと思います。近代以降の時代に『論語』をあてはめた時、どのように考えるべきかという問いに対する、渋沢の解釈なんじゃないかと思っております。ある人は、《学んで時に之を習う》を、《学んで之を時習(じしゅう)す》と読んでいます(※1)。要するに、時に従って時に応じた読み方をするということを書いてございます。

 私もその読み方に賛同しておりまして、資本主義が、経済だけじゃなくて社会のドライバーになった時、『論語』をどのように読むのかを示したのが、「論語 渋沢派」だと思います。こう考えていきますと、現在は、もう1回読み直さなくてはいけない、つまり解釈を考えなければならないタイミングなのかなと思っております。

 問題意識、つまり、『論語』を現代風に読み解く論点は、以下の2つです。

・法の支配と法治主義

・ネット社会、グローバル社会の規範

 特に後者はこれまで存在しませんでしたからね。物理的な制約がなくなったことによって、はじめて現れた論点です。これまでの社会の形成は、人間の物理的な制約が大前提でした。ところがネット社会は、ある意味グローバル社会もそうですけれど、物理的なリアリティーがない状態で社会が広がっていってしまいますね。こうした状況で何に気をつけなければならないかについては、まだ誰も言ってないんです。

 グローバル社会だけについて言っても、その制御を全部政治でやろうとしていますね。政治というのは経済でいう見えざる手ではなく、見える手です。誰かの意思です。これまでは大きな主体間のパワーバランスというルールだけで出来ていましたから、そう考えるのも頷けました。しかし、グローバル社会を構成する主体は既に国家ではなくなっています。もうこれまでの枠組みでは解けないのです。

 そうした時に完全に混沌に突き落とされるのか、新しい秩序を模索するのかという所で、再度、『論語』を読み直さなければいけないんじゃないかというのが、私の問題意識でございます。

(※1)『論語に学ぶ』安岡正篤(PHP文庫)

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