「論語と算盤」と現代の経営

今は『論語』の解釈を考え直さなければならないタイミング 守屋淳氏

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 仕事をすればするほど、問題に当たれば当たるほど、あるいは問題を克服すればするほど、『論語』が読めるようになるということ自体が非常な喜びです。「学而」じゃございませんけど、本当に楽しいことだと思います。学べば学ぶほど面白いのではないかと思っています。それが『論語』に対する私の捉え方でございます。生涯、いかに『論語』を読み解くことができるかがテーマじゃないかと思っております。

 渋沢栄一についてはですね、彼は株式会社日本の創業者です。非常におこがましいのですけれども、色々読ませていただきますと、ちょっとした考え方に共感できるところが多いんです。私の読書の仕方は、生来非常に傲慢な性格なものですから、誰かの教えをそのまま受け付けることはなく、自分が共感できる人達がどうやって考えを深めていったかを追いかける、そういうアプローチをしています。その意味ですと、まあ、偉人の中で選ぶとですね、例えば、渋沢栄一は非常にピンときます。勝海舟もそうです。西郷さん、全くわかりません。

 だからこう、やっぱりタイプがありますね。渋沢栄一には極めて共感できる。彼が何に苦労して、何を考えたかっていうこと自体、自分を高める意味ではもの凄く勉強になると思っています。渋沢が、株式会社日本を創業する時代の『論語』は、宋儒(中国の宋王朝のときに発達した儒教。朱子学がその代表)の流れで、謹厳実直、清貧に耐えなさいといった感じだったんですね。そこで、「そうじゃありません、そんなこと言っていたら国力がつきませんよ」と言ったのが渋沢なんです。

 無論、だからと言って恣(ほしいまま)に自分が動いていいかというとそうではない。彼は行動規範として『論語』を読んでいたのだと思います。『論語』を行動規範にすることが、経済活動と矛盾しない、むしろ活きるのだということを積極的に説いてまわったのが、「論語と算盤」なんじゃないかなと思っております。

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