「論語と算盤」と現代の経営

金融が経済、社会の主役になろうとしてはいけない 守屋淳氏

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 資本主義の中でもいろいろな枠組みがあります。たとえば、シャドーバンキングと呼ばれるような、銀行が携われない金融の枠組みがあります。すると、銀行以外の企業体なりファンドなりが、規制の外で好き勝手なことをした、ということがありました。

 あるいは、新しい商品を作り、規制の網がかからないところで好き勝手をする、ということもありました。そこにインセンティブ(報奨)のシステムが乗ると、カネがカネを生む金融資本主義は、市場主義と組み合わさってしまうわけです。一時期そういった商品はブームを巻き起こしましたけれども、わかったことは、市場主義は完全になったところでグリード(強欲)と結びつくと暴力化してしまうということです。

 だから、これは本当に自己矛盾ですね。イギリスの元首相のサッチャーさんは、自分が政権にいたとき、確かにイギリス病から復活させた。それは極めて重要な功績だったと思います。けれども、一方で貧富の格差、そして公的な医療とか学校とかが荒廃する、失業率が上がるということで、弱者からすると、非常に住みにくい社会を結果的に作り上げてきたのも事実です。それは、ジョン・メージャーさんを経て、その後、ブレアさんの第3の道というような流れになったわけです。

 市場主義は完全になったところでグリードと結びつくと暴力化してしまうということは、経験知としてわかっていました。だから、金融のクライシスが起きたことに対して、政府、銀行もいろいろ手を打ってきました。インセンティブ(意欲を引き出す要因)のシステムについても規制をかけています。そのこと自体は、正しいことだと思います。

 けれども、逆に問題が起きたことに対して規制する枠組みというのが、グリードから発することを全否定しようという枠組みであるとすると、グリードはなくならないんですよ。デジタル的にオール・オア・ナッシングで律するのではなく、一定程度は、そのグリードの存在を容認した社会システム、しかしそれを自律的にあまり奨励しない、そういう仕組みというものをやっぱり作っていかなきゃいけないと思いますね。

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