「論語と算盤」と現代の経営

金融が経済、社会の主役になろうとしてはいけない 守屋淳氏

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守屋 単純に考えますと、合一はものすごく難しいと思います。渋沢栄一も、いわゆる資本主義、合本主義といった経済活動には欲が必要である、と述べています。一方、『論語』のほうでは欲は適宜抑えなさい、と述べています。本来矛盾しているものを、どうすれば一緒にできると思われますか。

塚本 そこは非常に中心的なテーマだと思います。

 欲と言ったときに、たとえば普通に「所有したい」「いい生活をしたい」「もっとお金が欲しい」――これらは、ほどほどのところまでは人間として極めて健全な欲なわけです。ただし、それらが行き過ぎてしまうと、とんでもないことになる。

 やはり人間が欲を持つということは決して悪いことではないし、それがないと、人間の生活の発展というものもない。それを是とした上で、いかにマネージ(管理)しながら経済というものを徳のある形で発展・繁栄させていけるのか。それが非常に大切なことです。

 結局、欲の中にも、そもそも欲と似て非なる強欲というものがあって、これはいけない、ということだと思います。

守屋 しかし、欲というものは、染まっているうちに、知らず知らずのうちに強欲のほうに行ってしまうということが起こるのではないでしょうか。たとえば欧米のCEOの年俸が巨額になった背景には、「ライバル企業のCEOがあんなにお金をもらっているなら、俺ももっともらっていいはずだ」と、比較の中でエスカレートしたことがあったという指摘があります。

 そうなると満足というのは他人との比較、ないしは過去との比較でできあがってしまうものではないでしょうか。そうなりますと、自分では「これはまだ強欲じゃない」と思いつつも、どうしても強欲のほうに行ってしまうということが起きると思います。こうした点はどうお考えになりますか。

塚本 それは、一言で言ってしまうと市場主義、あるいは市場原理主義の一番悪しき部分が出たということだと思います。

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