守屋 淳(もりや あつし)
作家、中国古典研究家。1965年東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒。大手書店勤務を経て、現在は中国古典、主に『孫子』『論語』『老子』『荘子』『三国志』などの知恵を現代にどのように活かすかをテーマとした執筆や企業での研修・講演を行う。主な著書・訳書に『現代語訳 論語と算盤』(ちくま新書)、『ビジネス教養としての「論語」入門』(日本経済新聞出版社)など。
守屋 その後、2007年の金融危機のときに『論語と算盤』を読み返されたというふうに雑誌のインタビュー等で語られています。それは何か読み返すきっかけがあったのでしょうか。
塚本 それは、サブプライム問題からリーマンショックという時期の直後でした。本屋に行けば、いろいろな本が出始めていました。例えば「強欲資本主義」とか、「資本主義が曲がり角へ来た」とか、「終焉する」とか「市場原理主義がもうダメだ」とか......。
こういう資本主義の蹉跌(さてつ)を、欧米人から言われることに関して、私自身は少し違和感を覚えていました。もともとそういうメカニズムを自分たちが作り上げて、自分たちが運営して、自分たちが享受してきたわけです。それを今になって強欲というラベルを貼ってみせ、また違う似たようなことをやるんじゃないか、と。
待てよ、日本人はサブプライムとかリーマンに関して言うと、相当程度抑制されたスタンスでそのときを迎えることができたわけです。日本にはそういえば、明治の渋沢さんの「あの本」があったじゃないか、と。『論語と算盤』のなかで言っていることは、資本主義は一定の道徳、価値観と合わさっていないととんでもないことになるぞというものでした。そこに読む動機が非常にはっきりあったわけですね。
守屋 読み返されて、改めて何か感じられたことはありましたか。
塚本 『論語と算盤』ということで申し上げますと、道徳・経済合一の意味が、本当に合一でないといけないんだということです。
右行ったり左行ったりしながら収斂(しゅうれん)していくのではなくて、そもそも合一なんだ、同一なんだと思えるかどうかが分かれ目ではないか、そういう思いを非常に強くしました。