「論語と算盤」と現代の経営

人の"えにし(縁)"が帝国ホテルをつくってきた 守屋淳氏

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 「実行」や「信頼」といった現代が直面する難問をもとに、渋沢栄一や「論語」の教えを実践している経営者の方々にインタビューしました。評論家や学者といった立場からの声ではなく、生々しい現場を預かる責任者の声として、きわめて示唆に富んでいると筆者は考えます。混迷の続く時代を照らすヒントとして、本連載を活用して頂ければ幸いです。

 第3回目の今回は、帝国ホテル会長の小林哲也さんにお話を伺いました。

 なお、本文に登場する人物の年齢や肩書き、数値データなどは原則としてインタビュー当時のものですが、プロフィールは2013年6月現在の情報を表記しています。

日本の迎賓館として

守屋 まず、帝国ホテルがどのような経緯で作られて、そこに渋沢栄一がどのように関わっていたのかについて、教えてください。

<FONTBOLD />小林 哲也(こばやし てつや)</FONTBOLD></p><p> 1945年新潟県生まれ。1969年慶應義塾大学法学部卒業後、株式会社帝国ホテル入社。セールス部長、宿泊部長、営業企画室長、取締役総合企画室長、帝国ホテル東京総支配人等を経て、2004年、代表取締役社長。2013年より代表取締役会長。

小林 哲也(こばやし てつや)

 1945年新潟県生まれ。1969年慶應義塾大学法学部卒業後、株式会社帝国ホテル入社。セールス部長、宿泊部長、営業企画室長、取締役総合企画室長、帝国ホテル東京総支配人等を経て、2004年、代表取締役社長。2013年より代表取締役会長。

小林 約260年の鎖国を解いて開国したあと、明治政府は幕末に結んだ各国との修好条約の不平等を直さなければなりませんでした。また、明治政府は日本の近代国家としての範をすべて欧米に求めていきました。このため伊藤博文、井上馨、渋沢栄一、益田孝、大倉喜八郎など帝国ホテルの創立に関わった人たちは皆、文久3(1863)年ぐらいから明治13(1880)年ぐらいまでの間に留学しています。

 そうした中、海外からの賓客をお泊めする西洋式ホテルが、文明国として必要になりました。もちろんご承知のように日本には参勤交代などで大名が泊まった本陣や、旅籠(はたご)といった宿泊施設が、当時もありました。けれども、外国人を泊めるような施設はなかったのです。

 そこで、大事な賓客をお泊めする場所としての西洋式ホテルの必要性を、井上馨外務卿がまず提唱されました。それ以前に、井上外務卿は同じ意味から、鹿鳴館を明治16年に作っていましたが、客室数が10室ほどしかありませんでした。そして、7年後に帝国ホテルが鹿鳴館の隣に作られたのです。そのとき、井上外務卿が最初に相談したのが渋沢栄一でした。

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