コストは、必ず半減できる。

クボタで学んだものづくりの"面白さ" 三木博幸氏

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 クボタ入社の面接時、私は「ディーゼルエンジンの設計」を希望したのですが、配属先は耕うん機技術部でした。ディーゼルエンジンを開発しているのはエンジン技術部でしたが、当時の農機市場は耕うん機の全盛時代でしたから、クボタでも耕うん機技術部がもっとも大きな陣容を抱えていました。それに、耕うん機にもディーゼルエンジンが搭載されていましたから、違和感はありませんでした。

"高橋学校"の新入社員教育

 配属先は決まったものの、その年に入社した技術系の社員(農機関係配属者20人)は、高卒も大卒も全員、"高橋学校"と呼ばれている試作組立課で1年間、新入社員教育実習を受けることが義務化されていました。第二次世界大戦後、旧満州(中国東北部)から復員した元陸軍軍曹の高橋貞三さん(元クボタ工師、黄綬褒章受章)が取りしきっていた職場です。高橋さんは身体(からだ)は小柄ですが、鬼軍曹として幾多の実戦を体験し、砲弾をかいくぐってきた人でした。毎朝8時の始業に合わせ、高橋さんの力強い訓示が始まります。その薀蓄(うんちく)のある言葉に、「なるほど」と共感や感動を覚えること、しばしばでした。

 試作組立課は、その名の通り新製品の試作機を組み立て、具合の悪い箇所は即座に手作りで改造・改善し、性能試験や耐久テストを実施する部門でした。耐久テストの多くは「現地試験」といって、農家の田畑を借りて試作機を持ち込み、そこで実車テストをするのです。砂質や粘土質の土地、石ころの多い土地、車輪が深くはまる湿田などさまざまで、1週間から長いと1カ月に及ぶ出張もありました。試作機というのは、ちょっとしたことで壊れ、ときとして故障の連続という事態も起きました。そのつど、原因を探り、限られた資材を使って応急処置をしながら、テストを続行するのです。

 また、実際の農地ではありえないような過酷な条件でテストをする場合もありました。三重県名張市の山奥にあった、チタン鉱の露天掘りの鉱山へ出向き、農家の納屋に泊まり込んで耕うん機の耐久テストを3週間ほどやりました。夜ともなれば満天の星空で、いまでもその美しさを思い出します。

溶接作業で実感した先輩の凄さ

 新入社員は先輩との共同作業の形で、上司の指示を受けて組み立てや改造の作業をこなしました。最初の仕事は、板金に定規やコンパスでケガキ線を入れ、バイス台に挟んでタガネでそぎ落としながら部品を切り出す作業でした。右手に持ったハンマーでタガネを叩くのです。ハンマーがうまくタガネの頭に当たらず、左手の親指や人差し指の第一関節あたりを叩くことが多かったのですが、慣れてくると叩かなくなるものです。

 タガネで切り出した板金の切口をヤスリで平らに仕上げる作業もありました。ヤスリ掛けの作業姿勢も、先輩から教えてもらったように腰の力を利用すると、ヤスリの手元が安定し精度の良い部材ができることが体得できました。自ら身体を動かしながら日々成長する自分が見える。こんなことも喜びだったように思います。

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