経済学的にありえない。

政府の「言うこと」を市場はどのくらい気にするか 佐々木一寿氏

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もうひとつの経済政策、「財政政策」とはなんなのか

 では、財政政策のほうはどのような経済政策なのでしょうか。ひとことで言えば、配分(再分配)の実行です。みんなでやらなければうまくいかないことがあって、それに必要な人や技術があっても、それを実行に移せないならば国民は困ったことになってしまいますから、政府はやはり憲法を目の端に捉えつつ、実行しなければなりません。

 十分に清廉な政府だとして、自由な活動をできるだけ見守りたいタイプのオトナであるけれども、個人ではなかなか解決できない必要最小限のサービスはやらないといけないとして、しかしながら、その必要最小限とはどの程度なのか。また、使える総額はだいたい決まっているとして、どの分野にどのくらい使ったら国民がハッピーになるといえるのか。まさに、「この子にかけていい教育費とお小遣いを決める」がごとき親の存在が、財政政策といえるかもしれません。

 子どもにとっては、お小遣いの額も決まるということであれば、その重要性は明白ではないでしょうか。その差配に期待して、あの手この手でおカネがかかることをアピールしてお小遣いをできるだけ多くもらおうとする子どもも出てくるかもしれませんし、賢い子であれば楽しい習い事をさせてくれている親に感謝するかもしれません。

 オトナのほうとすれば、お小遣いをどのようにあげれば、子どもが、おカネで得られる自由を謳歌しつつ足りなければ自身で工夫をする、そんな望ましい状況を上手につくれるのだろうと、使える総額を気にしながらアタマをひねるかもしれない。お小遣いが多すぎてもモラルハザードを引き起こしそうでよくないし、少なすぎてもその子の可能性が狭まりそう。まさにハムレット並みのジレンマを抱えながらも、じつに幸いなことに(?)家計から割けるおカネにも限度がありますので、落ち着くところに落ち着き、ハムレットのような末路にまでは至らなくて済む、ということになります。

 ただ、必要とされるサービスが多かったり、これまで以上におカネが必要な時期もあるとすれば、ローンを組んでも費用を捻出するかもしれません(国債などの発行)。これも、子どもの可能性を広げ、成長が伴うならば、最終的には肯定されるべきことかもしれませんし、その子はその学費によって数倍の金額を家や社会に返せるかもしれません。

「しょうがないけれど必要なコスト」か

 金融政策と財政政策、この2つの必要性を、憲法と近代国家の成り立ちにまでさかのぼって説明してきましたが、そこまでしなくても経済政策の重要性は理解できる、と思ったかたがいらしたら朗報です。必要かどうかに関してはだいたい疑いがないとして(それでも議論によっては意見が分かれる場合もあります)、どのくらい重要か、に関しては研究者や立場によって、意見に大きな幅があります。みんなで合意ができそうなギリギリのラインはここまで、ということをまず断りをいれさせていただきつつ、論を進めていきたいと思います。

 意見に大きな幅が出てくる、その理由は、経済政策の必要性と重要性の捉え方にあります。

 金融政策であっても、財政政策であっても、「(1)本当は『やらなくていいならそれがいちばんいい』と思うんだけど、(2)さすがにそれだと成り立たないのでやります」ということ自体はみんなに合意されているとしても、センテンスの前半に重きをおくか、後半に置くかで、解釈にかなりの幅が出てくるのではないでしょうか。

 そして、そのどちらに説得力があるかは、景気と経済政策に関して、より有効かそうでもなさそうか、つまり「しょうがないけれど必要なコスト」なのか「コストをかけてもやるべき有効打」なのかにかかっています。

 このことが、金融政策と財政政策の両方で起こっていて、そしてその優先順位を巡っても起きているのです。「財政政策は、必要悪だ」から、「財政政策は、景気対策として有効だ」まで、そして「金融政策は限定的であるほうが経済を歪めない」から「積極的な金融政策は、景気回復に関して有用だ」まで、この幅はあります。そして、経済政策の是非の議論は(極端なものを除けば)、ほとんどこの範囲内にあります(これで、いくらガヤガヤと紛糾した議論を目の当たりにしたとしても、もう怖くありませんね?)。

 また、これは、研究者だけでなく、政府や政治家にとっても大きな問題です。やれることがまだまだあるのか、あんまりやらないほうがいいのでやりすぎを警戒するべきなのか......。

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