経済学的にありえない。

政府の「言うこと」を市場はどのくらい気にするか 佐々木一寿氏

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経済政策は「金融政策」と「財政政策」から成り立つ

 経済政策とは、政府が自国の経済環境をよくするために行う施策のことです。それは、性質的に大きく2つに分けて説明され、実施します。

 ザックリ言うと、経済政策とは「金融政策」と「財政政策」のことです。

「経済政策」=「金融政策」+「財政政策」

 なぜ、2つに分けるのか。これは伝統的にそうだ、ということも言えますが、施策の責任の所在の明確化と、その責任の発生の仕方が異なるため、とも説明できます。

おカネの発行に関わる政策が「金融政策」

 自由に物々交換する自由市場もありえますが、それでは不自由を招きかねません。経済的な取引が思うようにできない環境だと経済的な発展が妨げられて、結局、みんな思うようにはハッピーにはなれないとなると、これは憲法を気にする政府としては、なんとかしないといけない、ということで、国民みんなが共通して使えるおカネを流通させることにします(これで政府は憲法に怒られなくて済みそうです。オトナであっても、いつおじいさんに怒られるかわかりませんし、おじいさんにとって孫のことはいつだってかわいいものです)。

 というわけで、通貨が流通して、それをみんなが使って、取引が便利になる、これは国民の富を形成することに大いに貢献しているのですから、このような政府は憲法的な観点からもいい仕事をしている優等生なのかもしれません(ちなみに自国の通貨がない国もあります)。

 おカネの発行が適切かつ適量に行われているかが、経済環境に非常に重要で、高度な経済発展のための必要条件だと言っても過言ではないと思いますが、この部分を担当するのが中央銀行の「金融政策」です。注意深くおカネ(マネタリーベース)を発行したり、信用も含めた実効的なおカネの量(マネーサプライ)を計測したりして、その具体的な方法論はタイミングと量と経路の複雑さを伴いつつ難解ではあるのですが、シンプルに言えばこのようなことなのです。

 金融政策とは、「おカネの量(通貨量)の適切化なんだ」とシンプルに考えれば、では、どのように適切と判断するか(されるか)という疑問が出てくると思います。

 それは、通常は、一般金利(The Interest)と一般物価(インフレ率)を見ます。

 物価と通貨量に関しては、直感的にも理解しやすいのではないでしょうか。モノが少なくておカネが多ければ、値段は上がります。逆にモノが多いわりにおカネが少ないと値段は下がりますが、これは一国の通貨量と一般物価についても成り立ちます(ニュアンスにおいては少し違うところもあるのですが、ザックリの理解では大丈夫です)。

 一般金利に関しても同様で、おカネが潤沢にあって借りやすい場合は、金利は下がります。おカネがなかなか借りにくい(通貨への需要が大きい)場合は、金利が上がります、金利が少し高くてもおカネを借りたいからですね。

 この2つは、どちらも相対的なもの、つまり「いまよりもこうなったら、こうなる」ということです。絶対的な水準の議論はもちろんありますが、まずは方向性(相対的な変化のメカニズム)をあらわすもの、と考えるとわかりやすいと思います。

 そして、経済状況に即して、物価と金利の目標水準に関してコミットメントするのが政府の役割で、その経済政策の双璧の片方を担うのが中央銀行なのですが(ですので、中央銀行を含めて「広義の政府」という言い方もします)、これは先進各国共通です。

 つまり、「金融政策」とは、中央銀行が望ましい物価と金利になるようにおカネの量を調節すること、ということになります。実務面ではかなり面倒なところはありますが、金融政策における中央銀行の仕事はシンプルに言えば、これに尽きます。

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