経済学的にありえない。

政府の「言うこと」を市場はどのくらい気にするか 佐々木一寿氏

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 同様に、自由市場の参加者も、もはや彼ら子どもの気持ちが十分によくわかるのではないでしょうか。

 「私が欲しいものが、オトナのせいで手に入りにくくなった」「お兄ちゃんが留年したせいで、勉強しろとうるさく言われるようになった」「あのアイドルは、私がそのよさを見込んでこっそり応援していたのに、違う方向でキャラ付けされて小ブレイクしてしまった」という気持ちがわかるならば、「関税の変更で必要な原料が思うように買えなくなった」「ある金融機関の不祥事で、うちの銀行へのチェックも厳しくなった」「私が見つけてきた有望株の、潜在的な伸びしろが、産業政策によって結果的に消えてしまった」という気持ちも、子どもたちと十分に共有できる可能性があります。

なぜオトナ=政府は、モノを言うのか("政"の"策"とは何か)

 政府も、そんな国民感情を百も承知だとして、自由にやってもらって、結果として世の中が便利になったり、富が増えたり、そしてその国民の自由な振る舞いが国民の幸せにつながるのであれば、万々歳なうえラクですし、理想的な状況だと思うのではないでしょうか。ただ、そのユートピアは、1件の犯罪でもあれば脆くも崩れてしまう。自由には、自己責任が原則だという人もいるかもしれませんが、人間の思考認知能力にも限界があり、またすべての問題に正解があるわけでもない以上、自己責任ということではかわいそうな局面も多々あると思います(マイケル・サンデル教授の議論ではありませんが)。

 そこで、(程度の差はあれ)政府が役割を果たすべき余地が出てきます。いくら保険が発達した世の中になったとはいえ、個人ではどうしようもない困ったことが出てくる、その事態に備えるために、みんなでしかできないことはみんなでなんとか解決しましょう、というのが、自由主義経済が考えてきた、政府の姿です(ザックリですが)。

 そのオトナたる政府は、どこまで何をするべきなのでしょうか。

 まず、政府が介入せずに、当事者間でうまくいくのなら、これほどラクでハッピーなことはない、と政府は考える(ものとします)。ただ、それだとなかなか実現しそうにない案件に関しては、政府はラクをしたいものの、介入するとします。そのような政府が取り組むべき問題は、いろいろありますが、必要なものに関しては、だいたい憲法に書いてあります。

 「個人の幸福を自由に追求するために、みんなでやるべきことを政府がやるように。内容はザックリとはコレコレです(あとは細かくは各種法律を整理して実効性を持たせるようにしてくださいね、政府にはその責任がありますので)」と書いてあるのが憲法なのだとして、外交や国防や貿易ルールや法整備や道路の使い方や警察や消防や社会保障が存在するのは、ざっくりこのような理由によります。それにはコストがかかりますが、それはタダではなく、賄われる必要があります(が、それが言うまでもなくみなさんの税金です)。

 であれば、賢い子どもならば、政府の言うことはまあまあ聞いておいたほうが得かな、と思うかもしれません。ただ、本当にそのような(清廉な)政府であれば、という条件はつくかもしれませんが(ケインズについてよく言われるところの「ハーヴェイロードの前提」)。

 とりあえず「清廉な政府」なのだとして、子どもたちの危険を取り除き、その自由を尊重するためにあえて指図をするという役割(=政策)は、領域分野ごとに多々あるとして、こと経済分野でいえば、それは「経済政策」と呼ばれます。

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