経済学的にありえない。

政府の「言うこと」を市場はどのくらい気にするか 佐々木一寿氏

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子育てのジレンマに経済を置き換えてみると・・・

 親の言うことを子どもは必ずしも全部は聞かない。このことは世の習いなのかもしれませんが、それによってイタい目に遭ってしまうとしても、将来は自立して生きていかなければならない。そのための「練習」なのだとすれば、それは「自由」獲得のための代償なのかもしれず、見守るべきことなのかもしれません。

 子どもがみんなで広場に集まって、どうやって遊ぶかを決めて、チームに分かれて遊びを始めて、勝負がつき、お互いが(あるいは個人が)どのくらい勝ったか負けたかが判明する。終わったら仕切りなおして、チームのメンバーを変えて、遊びなおす。そうしてみんなで仲良くも正々堂々と取り組みつつ遊んでいるところに、オトナが出てきて、あれこれ口を出したとしたら、子どもたちは遊びが一気に面白くなくなってしまうのではないでしょうか。

 ただ、それでもオトナの言い分もあると思います。身体的な危険性が高い場合は注意をしなければなりませんし、同じ人ばかりが勝ち続けたり負け続けたりする不公平なルールであれば、ちょっと変更したほうがいいと思ってしまうかもしれません。それでも、やはり、できれば自由に遊びたいと思う子どもであれば、「うるさいなー、もう」と思って疎ましくしてしまうかもしれない。親にしてみれば、子どものためを思っての行動なのですが、なかなかうまく伝わらずに、すれ違ってしまう。

 長くなりましたが、これは子育て論ではなく、マクロ経済のお話だとしたら、意外に思うでしょうか。

子ども=経済主体、親=政府、として考えてみる

 子どもが元気で健康的でイキイキとしていれば、そのご家庭にとってこれほど幸せなことはないのではないでしょうか。「家庭の幸せ」を演出するキープレーヤーはここでは間違いなく子どもたちだとして、彼らが充実して、健やかに育ってほしいわけですが、自由に振る舞うことが好きな彼らは自分の意思で行動することを好むものの、知識や経験が不十分でもあります。にもかかわらず、指図(という助言)を受けることを直感的に嫌がるとすれば、これは家庭の幸せの活力を失わせてしまう原因にもなりかねませんので、知識や経験が豊富な親から見れば、隔靴掻痒(かっかそうよう)この上ない状況ではないでしょうか。

 子どもは「経済主体」(つまり私たち個人や企業)、親は「政府」、子どもの遊び場が「自由市場」(マーケット)だとすれば、介入への是非の議論は、多かれ少なかれ、だいたいこれと似たようなところがあります。子どもに助言をすることが十分に難しいとすれば、自由市場への介入の是非に関しても同様の難しさがありえる、ということです。ごく一般的なオトナであれば、子どもにはできるだけ伸び伸び遊んでもらって、そして十分に満足しつつ、それが結果として身体の健康につながり、さらには勉強にもなってしまう、そんな境地が理想的だと考えるのではないでしょうか。

 しかしながら、子どもの自由にはリスクも伴います。無理をしすぎて、ケガをしてしまうこともあるかもしれません。それを、どこまで気にして、どこまでなら気にしないほうがいいのか。これは、人類の問題のなかでも難問中の難問だとも思います。

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