経済学的にありえない。

負けが込むと強気になるのはなぜか 佐々木一寿氏

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 まず、そのようなギャンブラーたちと、そうでない人は、どちらがどのくらい多いのでしょうか。

 これは、多くの場合でリスク回避派が多数のようです(実験にもよりますが、だいたい7割以上)。つまり、私たちはたいてい「事なかれ主義」のようです。「事なかれ主義」というのはよくない文脈で言われることもありますが、それは経済学的にはよくないことではなく、よくあること(マジョリティ)のようです。

 おそらく、実際に日常的に賭け事をしている人は少ないと思います。勝つと資産が1.5倍になるが負けると半分になる。たとえばそんなギャンブルを繰り返しているとすれば、いつか破綻するかもしれませんし、一般人の多くは「落ち着かない」と感じるのではないかと思います。増える可能性はないかもしれないけれど、少なくとも減らないのであれば、それはそれで「安心感」はあるのではないでしょうか。好んではリスクをとらない、ということは、安心感を得られるというメリットはありそうです。

 ですが、どんなにギャンブルが嫌いな人であっても、日常的に「賭け事をしているような状態」ということはありえることです。ランチの選択から転職の選択まで、大きな決断もあれば小さな決断もあるでしょう。そのときに、決断をするかしないかの機会が見えているとして、その全部をスルーする、というのもけっこう意志が必要ではないでしょうか。決断を少なくできれば、とりあえずは今のままの状態をキープすることはしやすそうですが、今度は決断をしなかったことを後悔することになるかもしれません。

 ビジネスシーンやニュースなどでよく聞く「やらないリスク」という言葉は、厳密には経済学的ではないですが、ただ、そのニュアンスに関して理解もできると私が考えるのは、やらなかったことに対する後悔(心理的なイヤさとしての損失)という、決断したときには発生しえない感情の発生をやむなしとするかどうかの選択(機会)として織り込んでいるからです(もちろん、リスクテイクした結果、損をして後悔する、ということはありえますが)。

 この観点からすれば、どれほどリスク回避的だとしても、実際の私たちを考えると、リスクを少なくすることはできるが、なかなかゼロにはできない、という感覚が理解できるのではないでしょうか。

 リスクの扱いの難しさは、リスクへの対処もありますが、その前段階で、実際的なリスクをどう捉えればいいかを常に考えなければならないところにあります。そのような本来的な面倒さを我々はうすうす直感しているがゆえに、リスクというものはよくわからない面もあるからとりあえず回避できるのなら回避しておこう、と一般的に慎重になっているのではないかと思います。

 機会があり、その機会の内容が(たとえばそれぞれの選択肢の確率やリターンの量が)明らかで、期待値で見て損得としては中立的だとわかる場合であれば、そのリスクをとるのもとらないのもあとは自己責任ということは自明です。ただ、確率的な実験室であればともかく、現実的にはそのようなケースは非常に稀なのではないでしょうか。

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