経済学的にありえない。

負けが込むと強気になるのはなぜか 佐々木一寿氏

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 「オレが負けるわけがない」と考えるギャンブラーがどのくらい多いかはわかりませんが、「負けるかもしれない」と常に心配している謙虚なギャンブラーであれば精神的にもたなそうと考えると、ギャンブラーたちはやはり概して可能性に対し楽観的なのだと思います。本来的に強気であるギャンブラーは、ある種の独特な魅力を持っています。たとえば、ヒーローものの映画の主人公が「損するかもしれないからイヤだ」とか「どっちがいいか決められない」という感じだったとしたら、映画のなかのヒロインでなくても、もうちょっと強気なほうがいいな、とは思ってしまうのではないでしょうか。

 可能性に対して果敢な態度をとることを「強気である」と定義するとして、それは十分に魅力的なことですが、その「強気」にはデメリットも伴います。

 ルーレットの前のギャンブラーであれば、目の前の掛け金が何倍にも増える機会を得ようとすれば、それを失ってしまう可能性をも受け入れなければなりません。映画のヒーローであれば、自分の名誉やみんなの幸せのために身体的な代償を払う可能性を受け入れる場面もあるかもしれません。私たちにはおいそれとは決心がつかないことが非常に多いからでしょうか、「何かを賭ける」ことは物語になるほど魅力的な行為に見えますが、その理由は代償をも厭(いと)わない決心をすることへのカタルシスにあるのかもしれません。

 何かを賭けた場合、得られるメリットと、裏目に出たときのデメリットを同時に受け入れる覚悟が必要となります。その機会をわざわざとりにいくことをギャンブラーは好むとして、その機会をさほど魅力的だと思わない場合はスルーできるとすると、ギャンブルそのものを実際に嗜(たしな)んでいるかどうかはわからないけれど「彼はギャンブラーだ」と思える人たちも周りで多く見かけるのではないでしょうか。

 もしかしたら、ギャンブラーたちは、ギャンブル場にだけいるわけではなく、すぐ身近にもいそうです。

経済学的な意味でいう「リスク」とは何か

 ここでいう「ギャンブラー」たちがとるものを、経済学的な用語では「リスク」と言います(ざっくりとですが)。ギャンブラーたちのことをリスク愛好派(リスク愛好的)、できるだけとりたくない人をリスク回避派(リスク回避的)とここでは呼ぶことにしますが、ここでのリスクは基本的に損得としては中立的なものとします。

 これは、「ハイリスク/ハイリターン、ローリスク/ローリターン」の原則として広く知られているものと同じです。

 ただ、日常用語で「リスクが大きい」という場合は、得られるものに比べて失うものが大きそうな場合にも使われると思いますが、これとは区別します。それは厳密に言うと「損しそうで割に合わない」ということで、つまりハイリスク/ローリターンだということですが、そのことと経済学的な用語としてのリスクは少し意味が異なっています。

 リスクとは、(おそらく)平均すれば同じくらいになるが、プラスになるかマイナスに振れてしまうか、その機会をどうするかということ。損得的に考えるならば、得も損もない、ということです。もう少しくだけた言い方をすると、「現状維持か」「得するかもしれないが損する場合もありえるチャンスを選択するか」ということになります。

 では、その「機会としてのリスク」は、とるべきなのか、それともとらないほうがよいのでしょうか。

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