なぜリーダーは「失敗」を認められないのか

インテルを危機から救ったグローブの一言 リチャード・S・テドロー

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 世界の半導体市場で揺るぎない地位を築いた米インテル。だが、マイクロプロセッサ(MPU)に事業をシフトする直前の1985年当時、インテルはDRAM市場の価格競争に飲み込まれ、深刻な経営危機に陥っていた。

 なぜインテルにとって、DRAM市場から撤退し、全精力をマイクロプロセッサに注ぎ込むのはそれほど難しいことだったのか? それはまちがいなく、地獄のように辛い日々だった─実際にそれを体験した人々は苦痛に満ちていたと語っている。ベンジャミン・フランクリン流に言えば、だれでも自分の意向に沿った理屈を見つけられるものだ。インテルの首脳陣も、あらゆる理屈を使って、新たな挑戦を避けようとした。

技術力の高さが判断を誤らせる

 「経営、それも特に危機的状況における経営は、非常に人間性を問われるものだ」。グローブは語る。データにもとづいてEQ(心の知能指数)を発揮するのがとても大切だが、データが1つの方向性を示し、感情がその逆を示したら、どうすればいいのか?

 DRAMはインテルの製品ラインの中で、甘やかされた子供のような存在だった。「メモリチップ[DRAMのこと]の開発の大半は、オレゴン州にある最新鋭の工場で行われていた。一方、マイクロプロセッサの技術開発の担当者らは、僻地の古びた製造施設に製造部門と同居していた。優先順位は我々のアイデンティティ、すなわち自分たちはメモリ会社だという意識によって決まっていた」

 決断力やビジョンが何よりも求められる状況で、いずれもが欠けていた。「会議に次ぐ会議を重ね、議論を重ねたが、相反する主張以外何も生まれなかった」とグローブは振り返る。かたや一か八かやってみろ、すなわちメモリ専用の巨大工場を建てて日本勢と正面から対決しろ、と主張する一派があった。かたやまったく新しい技術を開発し、日本勢には真似のできない製品をつくろうと唱える一派もあった。

 専用メモリへの投資を訴える勢力もあったが、世界的にメモリのコモディティ化が進む中ではあり得ない戦略だった。何かに焦点を絞ることが求められていたにもかかわらず、グローブによれば「我々は方向感覚を失い、死の谷をさまよっていた」。

 グローブには宗教的教義のような強力な信念が2つあり、それがインテルをメモリに縛りつけていた。1つはメモリこそがインテルの技術的な推進力であり、それゆえに他の製品とは別の尺度で考えるべきだ、というものだ。メモリはインテルの他の製品よりテストしやすく、いち早くバグを発見できる。そこで得られた技術的ノウハウは、より複雑な製品に応用できる。こうした論理から、経営陣は、技術的優位性とメモリ事業には密接な関連性があると考えていた。

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