孫子・戦略・クラウゼヴィッツ

『孫子』の政治家目線、『戦争論』の軍人目線 中国古典研究家 守屋 淳

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 すべての戦略には使うべき状況がある。ビジネスやスポーツ、人生の勝負時、受験やファイナンス――。いまに生きる私たちが、そこで真に生かせる戦略とは何か。東洋戦略論のバイブルとされる孫武の『孫子』と、西欧戦略論の雄であるクラウゼヴィッツの『戦争論』を対比しつつ、古典の叡智を現代に生かす方程式を紹介する。

1対1vsライバル多数

 『孫子』と『戦争論』は、戦略的な発想が重要な点で真っ向から対立している東西の古典だ。

 二書の違いは一体どこから生まれてきたのか──。そんな観点から、それぞれを読み進めていくと、浮かび上がってくるのが、理論を構築するさいの前提の違いだ。しかも、違いは1つではなく、重要な2つの点で対極にある。

 まず、その基本前提の1つが「ライバルの数」に他ならない。

 たとえば、われわれが教室で戦略を学んでいるとしよう。先生から、「戦争」を想像してみて下さい、といわれたとする。ほとんどの人は、ある国と国との、軍隊が戦っている姿を思い浮かべるのではないだろうか。

 実際、戦争をテーマにした古今の戦略書のほとんどは、こうした1対1の対決状況を前提に理論を組み立てている。そして、こちらの前提に立ったのが、クラウゼヴィッツの『戦争論』だ。

 『戦争論』はその冒頭に、戦争の本質を言い表した有名な言葉がある。

 戦争とは拡大された決闘に他ならない。(『戦争論』第1篇第1章2)

 つまり、剣やピストルを手に、1対1で雌雄を決する決闘が、戦争の雛型だというのだ。われわれ日本人にとっては、宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島の決闘を思い浮かべてみると、わかりやすいかもしれない。互いの人数や装備が拡大していけば、それが戦争へと変貌していくわけだ。

 クラウゼヴィッツ自身、序章でも触れたようにプロイセンの生粋の軍人として生涯を過ごしている。為政者たちが「どこの国といつ戦うのか」を決定した後に表舞台に登場、勝利を目指す立場に常にいたわけだ。必ず「1対1でやるかやられるか」の状況で仕事がまわってくる軍人の立場からすれば、戦争はまさしく「決闘」として映ったであろう。

 ところが、対する『孫子』の側には、こんな指摘がある。

 長期戦になれば軍は疲弊し、士気は衰え、戦力は底をつき、財政危機に見舞われれば、その隙に乗じて、他の諸国が攻めこんでこよう。こうなっては、どんな知恵者がいても、事態を収拾することができない。



 ──それ兵を鈍(にぶ)らし鋭を挫(くじ)き、力を屈(くっ)し貨をつくさば、則ち諸侯(しょこう)、その弊(へい)に乗じて起こらん。智者ありといえども、その後を善くすること能(あた)わず。(作戦篇)

 戦いが長引いて、お互いに経済や国力がボロボロになったり、報復の連鎖に陥って絶え間ない戦争状態になってしまえば、第三者に漁夫の利をさらわれてしまう、というのだ。

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