オサムイズム "小さな巨人"スズキの経営

スズキと提携後、手のひらを返したVW ナカニシ自動車産業リサーチ 中西孝樹 氏

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「ハート・ツー・ハート」を貫いた修の交渉

 提携に到達するスピード感には誰もが驚かされた。GMグループがスズキ保有株式を完全に売却し、資本提携を終わらせたのが2008年11月。そこからわずか1年で新たな包括提携にこぎつけるのは、異例の早さであった。

 GMとの事業提携で最後まで残っていたカナダにおける合弁生産会社、カミ・オートモーティブ(CAMI)からの撤退を決定したのが、VWとの提携発表のわずか1週間前のことであった。師匠と仰いだGMに対する信義を重んじ、関係をきれいさっぱり円満に解消し、義を尽くしたうえで、次の提携を進めたのだ。

 スズキとVWの接触は、GMとの資本提携が解消された直後の2009年の早い段階から始まっていた。その年の7月には、経済産業省から着任したばかりの当時常務役員(現副会長)の原山保人を連れ立って、修はVWとの提携交渉のために渡欧している。

 原山は、早世した元専務の小野と通商産業省(現経済産業省)の同期の桜であった。元資源エネルギー庁長官の高原一郎とともに、1979年入省の三羽ガラスと呼ばれていた。

 スズキの集団指導体制の一翼を担う人材として、小野という有力な後継者を失った修に強く請われ、原山は2009年にスズキに入社した。彼の初仕事がVWとの提携交渉であり、紛争から決裂、ロンドンでの国際仲裁裁判所での係争まで、一貫して関わり続けたキーマンである。

 そのころ、ドイツのメディア発で、両社に動きがあるとの憶測報道も出始めていた。

「火のないところに煙が立った」

 修は噂を一蹴、しゃあしゃあと報道陣やアナリストを煙に巻いていたものだ。GMとの事業提携関係をきれいに清算したうえで次なる提携構築に進むこと、VWとの交渉情報が事前に外部に流出するのを厳格に管理すること。このふたつが、修の頭にはあった。浪花節を重んじ、修の信条でもある「ハート・ツー・ハート」を貫いた提携交渉であった。

 「ハート・ツー・ハート」とは、1983年、インドでの国民車の基本契約の記者会見で発された修の名言だ。世界的な事業展開と国境を越えた提携には、心と心が通じ合うことが最も重要だという、「オサムイズム」の基本である。

 提携発表の記者会見のまさに前日、新聞の夕刊でスクープされるまで、この提携に向けた情報は完璧に管理された。第三者割当増資の価格決定も終了し、正式発表に向けてフェルディナンド・ピエヒとマルティン・ヴィンターコルンが日本に向かう飛行機に搭乗することで発覚したスクープであった。

 しかし、晴れやかな提携発表会見からわずか1年も経たないうちに、両社の不協和音が表面化する。2年目にスズキは提携解消を決定。それを拒絶したVWをスズキは国際仲裁裁判所に提訴し、その後4年にもわたり法廷争いが続くことになるのである。

 実に4年間、修はドイツの大自動車メーカーとの闘争をくり広げる。自ら引き起こした判断の誤り、身から出た錆ではあったが、80歳を越えた修にとって、肉体的な苦痛は想像を絶するものだっただろう。一歩間違えれば、会社がVWに買収される恐怖との戦いでもある。

 100年近く続くスズキの独立企業としての歴史に終止符を打ちかねない、存亡の危機を招き込んだのだ。修がスズキの未来のために引いた3枚目のカードは、まぎれもないジョーカーであった。

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