オサムイズム "小さな巨人"スズキの経営

スズキの大誤算、「VWとの提携」を求めた理由 ナカニシ自動車産業リサーチ 中西孝樹 氏

記事保存

日経BizGate会員の方のみご利用になれます。保存した記事はスマホやタブレットでもご覧いただけます。

 修は2008年6月に、小野を社長に指名する腹を決めていたという。当時の修の落胆ぶりは、傍で見ているのさえ辛いものであった。その修の手には、半分にちぎれた「新戦略」が残っていただけだ。

 しかし、小野が残した大きな遺産であるこの「新戦略」が、修の闘争心を蘇らせた。

「こんちくしょうめ、負けてたまるか。必ず、立て直して見せる」

 「新戦略」は、スズキを新たなステージに引き上げ、低コストや先回りで成功するのではなく、先進国で堂々と通用する製品と技術を持った会社に成長させた。同時に、スズキが強みを持つインドなどの新興国経済は、リーマンショックを契機に大きく飛躍した。新興国が、新しいスズキの製品を求める時代に変わっていたのである。

3つの重要問題の解決

 小野の死、そしてGMの破綻――大きすぎるふたつの悲しみだったが、修はいつまでも打ちひしがれていることはなかった。78歳の老骨にムチを打ち、会長と社長を兼任する決断を下す。「生涯現役」を心に決め、混迷したスズキの未来を見定めるため、自分の手で危機を乗り切り、再建を果たす覚悟を決めたのである。

 修の前には3つの重要問題が立ちはだかっていた。まずは、小野亡きあとの経営体制として、集団指導による組織的経営を確立すること。先進国事業のつまずきを再構築したうえで、新成長戦略を定めること。最後に、GMに代わるよきパートナーとめぐり合うことだ。

「技術と商品は小野君がすでに仕込んでいる。成長戦略の軌道修正を自分の手で果たし、集団指導体制を築き上げれば、荒波のなかのスズキをもう一度安定化できるはずだ。3枚目の最後のカードとして、よきパートナーと出会えるなら、30年先のスズキも安泰だ。そうすれば、安心して次世代にバトンを渡せる」

 このころ、1994年にデンソーからスズキに入社した、修の長男である鈴木俊宏が社内で育ってきていた。当時、俊宏はまだ47 歳。社長になるにはまだ若かった。幹部社員の意識改革を進め、育成するにはそれなりの時間が必要だ。集団指導体制を確立する数年後には、俊宏は有力な後継候補になれるはずだ。修には勝算があった。

 そんなところに接近してきたのが、VWだった。

中西孝樹 著『オサムイズム "小さな巨人"スズキの経営』(日本経済新聞出版社、2015年)「第1章 岐路に立つスズキ」から
中西 孝樹(なかにし たかき)
(株)ナカニシ自動車産業リサーチ代表。1986年オレゴン大学卒。山一證券、メリルリンチ日本証券などを経て、2006年からJPモルガン証券東京支店株式調査部長、2009年からアライアンス・バーンスタインのグロース株式調査部長に就任。2011年にアジアパシフィックの自動車調査統括責任者としてメリルリンチ日本証券に復帰。2013年に独立し、ナカニシ自動車産業リサーチを設立。1994年以来、一貫して自動車業界の調査を担当し、日経金融新聞・日経ヴェリタス人気アナリストランキング自動車・自動車部品部門、米国Institutional Investor誌自動車部門ともに2004年から2009年まで6年連続1位と不動の地位を保った。2011年にセルサイド(証券会社)復帰後、日経ヴェリタス人気アナリストランキング、Institutional Investor誌ともに自動車部門で2013年に第1位。著書に『トヨタ対VW 2020年の覇者をめざす最強企業』、日経文庫業界研究シリーズ『自動車』などがある。

キーワード:経営、企画、経営層、管理職、人事、グローバル化、ものづくり、M&A、技術、製造

閲覧履歴

    クリッピングした記事

    会員登録後、気になる記事をクリッピングできます。