オサムイズム "小さな巨人"スズキの経営

スズキの大誤算、「VWとの提携」を求めた理由 ナカニシ自動車産業リサーチ 中西孝樹 氏

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生き残りをかけた3枚の切り札

「下手すりゃスズキがつぶれることだってある」

 2000年を過ぎた頃にはこんな弱音を口にするほど、修の危機意識はピークに達していた。そんなスズキの経営に参画してきたのが、娘婿にあたる小野浩孝である。小野は2001年に経済産業省を退官し、危機に直面したスズキを飛躍させるため、修に合流してきたのである。

 老獪な修の危機意識、小野が持つ若さと行動力。2人ががっちりスクラムを組んだことで、スズキは息を吹き返した。修は、不退転の覚悟をもってGMからの出資比率を20%に引き上げ、グループ入りの決断を下した。

 GMとは1981年に資本提携して以来、長く良好な友人関係にある。しかし、もしスズキを自力で再生できなければGMに飲み込まれる。それを覚悟したうえでの決断であった。

 戦略家の小野は、スズキの近代化と生き残り策を盛り込んだ構造改革レポートを書き上げた。のちに小野戦略と呼ばれ、スズキの近代化と飛躍をもたらした「新戦略」となったものである。

 「小野浩孝」「GM」「新戦略」。生き残りをかけた3枚の切り札を修はそろえた。スズキがこの危機を乗り越えて、大きく飛躍できると確信した。

 さらに修は、小野こそが次のスズキの社長にふさわしい人物だと確信した。未来のスズキを手にした喜びと、会社での自分の役目が最終章に近づいてきた寂しさが入り交じった複雑な心境で、修は一息ついた。このとき、修の年齢は経営者としてはかなりの高齢となる70歳後半にさしかかっていた。

大誤算

 しかし、修が再三再四、口を酸っぱくして唱え続けた「25年周期の経営危機」は、本当に訪れたのである。

 2007年12月、専務にいた小野浩孝が、52歳で突然、早世した。

 「7年後の52歳で社長にできる」

 スズキに入ったばかりの小野を初めて見たとき、修は直感的にこう感じたという。悲劇としか表現できない、悲しいめぐり合わせとなってしまったのである。修は3枚の切り札の最も重要なカードを失った。

 不幸は続く。戦略パートナーと心に決めたGMが深刻な経営不振に陥り、2008年12月にスズキとの資本関係を清算、翌年に経営破綻を迎えてしまう。修は2枚目の切り札も失った。

 さらに、スズキの近代化と先進国事業への転換を目指した「新戦略」も破綻寸前だった。サブプライム問題に端を発したリーマンショックは、先進国経済に見通しの立たない混乱を引き起こした。小野戦略が欧州事業で高い成果を収め、第2ステージの米国侵攻に踏み込んだところを突かれた格好だ。米国事業のシナリオは完全に狂ってしまった。

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