オサムイズム "小さな巨人"スズキの経営

スズキの大誤算、「VWとの提携」を求めた理由 ナカニシ自動車産業リサーチ 中西孝樹 氏

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スズキの成功要因は、とうの昔に一巡していた

 スズキといえば、小さなクルマ、特に、国内の軽自動車のトップメーカーの名を馳せてきた企業である。世界第6位の自動車市場であるインドで40%以上の市場シェアを有し、新興国で活躍する代表的な日本企業として知られてきた。

 スズキ株式会社に修が入社したのは1958年。かれこれ半世紀以上も前のことになる。1978年に48歳で4代目社長に就いてから40年近くトップに君臨し、浜松の町工場を世界的な企業に育て上げ、名経営者としての誉望をほしいままにしてきたカリスマだ。

 スズキがなぜ、VWとの電撃的な包括提携に向かわなければならなかったのか。すこし歴史を振り返らなければ、この本当の意味を知ることはできないだろう。

 2000年代に入ってからのスズキは、試練と困難の連続であった。カリスマ経営者との世間の評価とは裏腹に、実際は修は苦悩のなかでもがき、苦しみ抜いていたのである。それは、スズキの成功要因である3つの強みのすべてが行き詰まっていたからだった。その3つとは、「ワンマン経営モデル」「低コスト」「先回り戦略」である。

「ニッチで生きていけた、古き良き時代であった」

 修は、過去の成功要因をこう振り返る。「低コストのスズキ」と冠されるようになったのはこの時代の話である。使い古した軽自動車ベースのクルマを新興国に持っていけば、経済状況に恵まれていなかった新興国の消費者にも手が届く、低価格だが魅力的な車となる。低コストを武器に、大手メーカーが見向きもしない新興国に先回りをして儲けを追求する。弱小メーカーのスズキが、過小な資本で生き残るにはこれしかなかった。

 しかし、経済が豊かになれば、国内も新興国での消費者も、もっと高性能なクルマを欲していく。大手メーカーには、高品質なクルマを廉価でつくる資金力も技術力もある。スズキの優位が打ち砕かれるのは時間の問題である。「低コスト」「先回り戦略」は封じ込まれつつあったのだ。

 1995年、トヨタ自動車の8代目社長に大抜擢された奥田碩は、転換点に立つスズキを見逃さなかった。創業家による長い経営支配で、当時のトヨタにはすっかり停滞感が漂っていた。そのトヨタをグローバルカンパニーへと脱皮させた、奥田改革は有名な話だ。

 奥田の改革の基本戦略は、トヨタの国内生産基盤を盤石なものとしたうえで、果敢にグローバル市場に打って出ることだ。奥田の標的となったのがスズキだった。スズキの軽自動車の牙城を崩すことが、彼の戦略だったのである。

 成長を支える新興国においても同じであった。20年前なら大手メーカーは見向きもしなかったが、1995年ごろを境に、VWは中国へ、トヨタは東南アジアへ怒ど涛とうの攻勢をかけた。このあおりを受け、スズキが手を組んでいたインドの国民車製造会社(当時のマルチ・ウドヨグ、現マルチ・スズキ・インディア)は、2001年に67億円の最終赤字に転落した。

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