ICTで築く明日の社会

「不機嫌なイチゴ」をICTでおいしく GRA代表取締役CEO 岩佐大輝氏

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「ざわざわ感」から何かが生まれる

――岩佐さんが拠点とする山元町には、なぜ若い人が集まったのでしょうか。

 1つはイチゴ栽培という魅力的な産業があったこと。もう1つは東日本大震災で大きな被害を受けた東北に、多くの若者がボランティアとして集まったことだ。保守性の強い東北地方にこれだけ他地域の人が流れ込んだことは、かつてなかっただろう。多様な人々がもたらす「そわそわ感」とか「ざわざわ感」から、新しい何かが始まる匂いを感じ取った若者が多かったのではないか。

 もう1つ言えるのは、他の地域には新しい事業を興すプレーヤーがいないこと。新しい芽を作り出す人がいなければ、花も咲かず、実もならない。人を育てるにはやはり教育が大切だろう。地方とは何か、地方の存在意義とは何か。自分たちの価値を認識する機会がほとんどない。都市と地方がどう共生していけばよいか、学ぶことが必要だ。

――岩佐さんはどんな思いでGRAを立ち上げたのですか。

 震災で自分が生まれた場所が大きく傷ついた。故郷を何とかしたいという、本能的な心から湧き上がる志のような気持ちが芽生えた。それまで自分はITコンサルティング企業を経営しており、事業を運営するノウハウや知見を持つ。それを地域で使えなければ、自分の存在意義はないと強く感じた。

 人間にとって社会に属しているという意識は重要だと思う。起業する前にパチプロやフリーターをしていたころ、最も嫌だったのは自分が社会の一員と思えなかったこと。地方に行くと、自分の存在する割合が都会に比べて大きくなり、その地域に深くコミットしている感覚になる。

――イチゴ栽培を本格的に事業化したいと考えたのはなぜですか。

 ボランティアで農作業を手伝っていて、間接的な支援では限界があると思った。農業には新規参入などで見えない壁がある。正面から戦いを挑むのでなく、新しい柱を立てる方がいいんじゃないかと戦略を立てた。それが面白ければ人は集まって来るだろう、と。

 山元町では129軒のイチゴ農家の大半が津波被害に遭った。原状回復しても意味がない、やるなら世界一を目指そうと考えた。同い年の友人である橋元洋平と2人で500万円ずつ出し合ってビニールハウスを1つ建てたのが始まり。イチゴ栽培35年のベテラン、橋元忠嗣さんに弟子入りし、まさにゼロからの出発だった。

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