上杉鷹山 リーダーの要諦

赤字藩の立て直しに奏功した動機づけ理論 佃総合経営事務所 代表 佃 律志 氏

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 荒地の開墾はもちろんのこと、領民の家の庭、寺院の境内、たとえ城内であっても空地の全てが植樹の対象となったのです。苗木は仙台や伊達などから購入したため、支出がかさみ借金が増えますが、目的遂行のために施策を進めました。

 可能な限りの施策を推し進めても、最初のうちは計画通り進みませんでした。目的を達成するために鷹山は、植え立て状況を分析し、実施、指導、管理の役割分担を明確にして藩主導の体制を強めました。天明2年(1782)までの7年間で、51万9040本と一気に植え立てが進みました。植え立ての進み具合を見ると後半に急激に増え、軌道に乗り出しました。漆木は新旧の合計で100万4395本ですから、相当効果があったことがわかります。

将来の豊かな藩の姿を数値で示し領民はヤル気に

 苗木や植え立てにかかった費用は江戸の三谷三九郎から借りていますが、100万本植え立て計画を進める上で十分な金額ではありませんでした。三谷からの借金と植え立てた木の収益金5000両を植え立て費用に充てることにしました。このとき、当綱は目的を成し遂げるために、「金は300万本の元気、300万本は16万590石余の元気」と述べています。つまり、現在の15万石高以上の収入が得られ、10年後に32万石に近い豊かな藩が誕生することを意識づけたのです。将来の在るべき姿が数値で示され、領民は大いにヤル気になったことでしょう。

 鷹山の施策は、長期計画と短期計画が明確になっているものの、資金不足が常について回るため重点管理を行いました。当時、江戸で売れていた蝋(ろう)の原料になる漆に重点をおいて、借りた金の大部分をつぎこみました。漆、桑、楮の3種類の木で漆の収益が一番多いとわかったら、借金しても漆木の苗の購入費を捻出して成果に結びつけようとしたのです。

 漆の樹液は塗料、接着剤になり、実は蝋燭(ろうそく)になります。漆木は植えてから4~5年で実がなり、8~15年で樹液の採取が可能となります。実は1~2年サイクルで蝋を作ることができるので、米沢藩では実のほうに経済効果を求めました。

 藩で買い上げた漆の実は領内で蝋を製造し、天明5年には売上高が6744両余となりました。ここから製造原価を引かなくてはなりませんが、この年隠居した鷹山は確かな手ごたえを感じていたことでしょう。

 人は納得しないとヤル気が生じないものです。思惑通り最初に成果が見えてきたのは漆で、領民に「やれる」という気持ちを与えました。

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