上杉鷹山 リーダーの要諦

J・F・ケネディが尊敬した政治家・上杉鷹山 佃総合経営事務所 代表 佃 律志 氏

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領民や藩士たちへの優れた動機付けが改革を推進

 内紛が起こりそうなほどこじれにこじれ、経験豊かな執政たちさえ中止を進言したこの難問に、鷹山は問題の本質を考えることで正面から取り組みました。

 2つの組の争いは武士の名誉にありました。

 「鉄砲上覧が廃止になれば、先祖から伝えられてきた鉄砲の技を見せることができません。軍団として上杉家の名誉をなくすばかりでなく、鉄砲技術もすたれて末代までの恥になります。体面を保つために意地をはって騒動が大きくなり、藩が御取り潰しにでもなったら、2つの組はどこで争うのですか」

 失った名誉は取り返しがつかないことを、19歳の藩主が諭したのです。

 小さな名誉を守るために大きな名誉をなくし、末代までの恥になる行いと諭され、まず馬廻組が、そして五十騎組も引き下がる意向を示しました。最終判断を任された鷹山は、祖先より伝えられてきた儀式は、藩士を管理し士気を高めるための大切な行事として、五十騎組が先に披露することで決着させました。

 大検令で儀礼を徹底的に見直した鷹山が、鉄砲上覧を積極的に存続させた理由はどこにあったのでしょう。鷹山の倹約は、参勤交代のような見せかけの仕事はムダとして簡略化させました。仕事を効率的に実施するために、格式による上下関係は、随時、壊していきますが、倹約を進めるためには封建的な社会秩序を守らせました。この辺の鷹山の考え方は実に弾力的です。

 武士は名誉を重んじる社会に生きており、名誉を貫く極限に切腹があります。名誉を重んじながら本質を説く鷹山の姿勢は、二つに分かれて言い争っていた藩士たちの心をつかみました。やがてこの人たちが人手を要する、農業や開墾および木材の伐採の働き手になっていくのですから、鷹山が信頼を得ていった過程がよくわかります。

 鷹山の藩政改革で一貫しているのは、領民や藩士たちに対する動機づけが優れていることです。現代のように動機づけ理論の研究が進んでいるわけではありませんから、鷹山は鉄砲の披露争いの原因を、人の欲求の本質から考えたのです。

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