マネジメントインタビュー

経営判断の鍵は時代に合った価値観のバランス――渋沢栄一に学ぶ日本資本主義の原点 作家、中国古典研究家 守屋 淳氏

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――以前、ミツカンとJTの幹部の方にインタビューしたときに、お2人が全く同じことを口にされました。「うちの会社の社員は仕事をしていない。業務や作業しかしていない」と。意味するところは、仕事は自分なりに考えてするもので、何も考えずにするのは業務や作業でしかないということです。

 渋沢栄一にひきつけて言いますと、明治の偉人の人たちっていわゆる近代的教育を一切受けていません。渋沢栄一記念財団に「渋沢栄一の学歴って何ですか」という問い合わせがあって、ないですと答えたそうです。近代的教育は一切受けておらず、私塾と従兄弟に漢学を教わったくらいですからね。だけどあれだけのことができちゃうんです。

漢文の読み書きは昔のリテラシー教育だった

 漢文の読み書きはようするに、昔のリテラシー教育だったと言われています。自分の頭で考える訓練を、漢文教育はさせていたとも。そもそも、何が書いてあるか漢字の羅列でわからないじゃないですか。わかったとしても何を言いたいかがわからない文章が多いし、解釈もいろいろある。ですから、自分の頭で考えざるを得ない。そういう中から、自分はこう考えてみようとか、これはどういうことだろうという訓練をしたのです。

 ところが近代以降の教育、特に日本の場合は、欧米からパッケージで入ってきたものです。出来上がった学問体系を日本にそのまま入れて、「これ学べば近代化できますよ」と。それを明治維新後も第二次世界大戦後も続けているんです。正しいものがパッケージ化してあって、それをそのまま受け取ればなんか合格できちゃうし、成果も上がる。ただ、ちょっとやりすぎた弊害が出ているのかもしれませんね。

――ただ、教育機関に任せてしまうと、改革するには何十年も掛かってしまいます。

 ある経営者に言われたのが、今一番、人を教育しやすのは会社であると。学校とか家庭というのは、実は合目的的組織ではないので教育がしにくいからです。価値観が多様なので、「だけどこっちもあるのでは」と言われると対抗ができない。だけど会社は合目的的組織なので、そういう意味ではモラルも持たせやすいし、ある種教育もやらせやすい。その経営者は、「うちは会社で教育するんだ」と言っていて、その通りだなと思いました。ただ一方で、そこまで会社に押し付けていいのかなとも思いますが...。

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