肖敏捷の忠言逆耳

成長のけん引役も果実も「官」から「民」へ 大転換を図る中国経済 SMBC日興証券 中国担当シニアエコノミスト 肖 敏捷(しょう びんしょう) 氏

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16年ぶりの「未達」が成長率目標引き下げの好機

 2015年の中国経済について、現時点の実質国内総生産(GDP)成長率の予測は官民を問わず、前年比7%前後に収れんし、7%以上は楽観派、7%以下は悲観派といった、極めて単純明快な構図となっている。2014年12月11日に閉幕した、2015年の経済政策の方向性を決める中央経済工作会議では、成長の速度は調整するものの、成長のモメンタムは維持する、いわゆる「調速不減勢」という表現が使われた。これを受け、「中国政府は2015年から成長率目標をこれまでの7.5%から7.0%へ引き下げる」との見方が一気に広がったことが背景にある。

 振り返ってみれば、1998年に、成長率の目標値が8%だったのに対して、実績値が7.8%にとどまったことを受け、政府が翌年の成長率目標を7.0%へ引き下げた経緯がある。1月下旬に発表される予定の2014年についても、足元の経済指標からみれば7.5%という年間成長目標の達成は難しくなっている。1998年以来16年ぶりの「未達」になれば、過去2年間、成長率目標を8%から7.5%へ引き下げ、更なる引き下げのタイミングを模索し続けてきた政府にとっては、大きな一歩を踏み出す好機と言えるかもしれない。

8%という成長率至上主義の旗印を降ろせ

 1989年の「天安門事件」の影響で翌年の実質GDP成長率が3%台に急減速したことを受け、「第8次5カ年計画」(1991~1995年)及び10カ年発展計画(1991~2000年)を作成する際、当時の李鵬首相は年率6%成長を目指す慎重な姿勢を示した。しかし、鄧小平氏からの批判を受け、1995年3月の全国人民代表大会(全人代)では、8~9%の成長率目標を打ち出す一方で、第9次5カ年計画(1996~2000年)期間中も8%成長を目指すと発表するなど、結局は目標値の上方修正を余儀なくされた。

 その後、8%成長は共産党指導部にとって達成すべき最低限の目標といった「鄧小平の掟」が確立されてしまった。しかし前述のとおり、1999年3月に朱鎔基首相(当時)はこの掟を破り、成長率目標を7%へ引き下げた。これは、アジア通貨危機の影響が中国にも波及し始めたことも一因だったかもしれないが、1997年に鄧小平氏が没し、1992年春の鄧小平氏の「南巡講話」を起爆剤に始まった高成長がもたらした不動産バブルやノンバンク問題、過剰生産能力などの後遺症を清算するための政治的な環境が整ったことが背景にある。成長率目標を引き下げるのは、痛みを伴う改革に乗り出す朱鎔基首相の覚悟を示す狙いがあったと考えられる。

 2003年3月の全人代で朱鎔基首相は、任期満了に伴う最後の所信演説(「政府活動報告」)を行った際、2003 年のGDP 成長率目標を7%に据え置いた。後任の温家宝首相は翌年の全人代における最初の所信演説の中で、この7%という成長路線を踏襲したが、2005 年の全人代では、GDP 成長率目標をそれまでの7%から8%に上方修正し、2011年までこの目標を守り続けてきた。結果的に、胡錦濤・温家宝政権期間中のGDP成長率は改革・開放以降最も高かったが、投資依存型の成長体質が一段と強化され、投資から消費への構造改革を目指す改革派にとっては「失われた10年」だったと言わざるを得ない。

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