肖敏捷の忠言逆耳

中国人はなぜ高倉健さんを尊敬するのか? SMBC日興証券 中国担当シニアエコノミスト 肖 敏捷(しょう びんしょう) 氏

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 高倉健さんの突然の訃報に接したのは、11月18日の福井市出張中だった。顧客訪問が終わり、福井駅に向かって大通りを歩き、地元新聞社の前を通った際、新聞閲覧コーナーに張ってあった一枚の紙が何気なく目に入った。一度通り過ぎたが、ちょっと待ってと慌てて折り返した。「速報 高倉健さん 死去 日本を代表する俳優、83歳」の黒い文字が無情にも目の前にあった。日本海から吹いてくる寒風の中、速報の前でしばらく立ちすくんでいた。福井駅から小松空港までのバスの中、そして、小松空港から羽田空港までの飛行機の中、茫然(ぼうぜん)自失のままだった。

「日中友好」時代とともに高倉健さんがもたらした新しい日本人像

 日本における高倉健さんの人気や評価はいうまでもないが、高倉健さんのおかげで、小さいころから受けてきた反日教育とイメージが全く違う日本や日本人に出会って興味を持ち始め、文字通り、懸け橋として日中間を行き来するようになった中国人がどれだけいるか、分かっている日本人は恐らくそう多くない。筆者は間違いなくその一人だ。

 1978年10月、「日中平和友好条約」の発効を祝うイベントとして、中国の主要大都市で「日本映画週」が開催され、高倉健さん主演の「君よ憤怒の河を渉れ」(中国語訳名:追捕)など3本の日本映画が史上初めて上映された。当時中学生でチケットを手に入れることができなかった筆者がはっきり覚えているのは、一番乗りで映画鑑賞から帰ってきた近所のガキ大将がみんなの前で自慢話を披露していた、あの興奮ぶりだ。

 一方、筆者の人生の進路に決定的と言っても過言ではない影響を与えたのは、「遥かなる山の呼び声」だった。高校時代、大学受験を前に、学生たちは理系クラスか文系クラスかの選択を迫られる。筆者も先生のアドバイスに従い、文科クラスを選択してから猛烈な受験勉強が始まった。ある日、気晴らしに映画館に行き、そこで見た映画が、高倉健と倍賞千恵子主演の「遥かなる山の呼び声」だった。

 中国語吹き替え版の名声優の魅力的な声も手伝って、筆者はとにかく完全にこの映画のとりこになってしまった。北海道の美しい大自然はもちろん、民子(倍賞千恵子)を助けたり、民子の息子である武志(吉岡秀隆)に馬乗りを教えたりする田島(高倉健)の格好よさに痺れるほど感動した。そこには、これまで抱いていたイメージとは全く違う日本や日本人の姿があり、その日から筆者にとって高倉健さんは夢や憧れを与えてくれる存在となった。

 後日、担任の先生の部屋へ行って、受験希望を文系から外国語専攻に変更したいと相談したら、もともと名門外国語大学卒の先生は「君の意見を尊重する」と笑顔で賛同してくれた。しかし、「先生、大学に入ったら、英語ではなく日本語を勉強したい」と言った瞬間、先生の表情が曇り始め、「ずっと英語を勉強してきたのに、大学から日本語をゼロから勉強しなければならないのは大変だ。それに卒業後、英語に比べたら就職のチャンスもかなり少なくなるよ」と親身になって心配してくれた。

 それまでは日本と縁もゆかりもなかった高校生がなぜこのような決断をしたのか、そしてその後なぜ人生の大半を日本で過ごすようになったのか。振り返ってみれば、あの映画に背中を押されたといえるかもしれない。高倉健さんの死去で日本は「最後の大物スター」を失ったが、筆者は一つの大事な道しるべを失った。

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