東大卒棋士のAI勝負脳

「藤井聡太」が2手目を変えない戦略と情報選択 将棋棋士6段・片上大輔

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棋譜データベースが生んだ「91手定跡」

 序盤の指し手を固定することは、相手に自分のことを研究されやすくなることにもつながる。そのぶんだけ事前の準備において不利になるという戦術的な面もあり、ここ10年ほどで、藤井のようなスタイルの棋士は現れなかった。藤井の活躍が今後他の棋士に影響を与えるかどうかは分からないが、少なくともマネしてみようという兆しは現在の時点ではみられない。

  将棋界でプロ棋士の誰もが過去の棋譜を分類・整理して体系的に学ぶようになったのは、ここ20年程度のことだ。これには棋譜データベースの登場と進歩が大きく影響していた。専門家のプロの使用にも耐えうるレベルのデータベースが構築されたのは1995年ごろ。それ以前は過去の棋譜を手に入れることはできても、体系立てた分析は困難を極めたはずだ。個々の棋譜はそれだけでは単なる記録に過ぎないからだ。

 データベースを利用すれば、ある局面の1手先をいつ、誰が、どんな手を指したかをすぐ知ることができる。どの局面までは公式戦で前例があり、どこから離れて未知の世界に突入したのかをすぐに教えてくれる。多くの前例がある局面は、それだけ研究テーマとして注目されていることの証拠だ。データベースの活用が進んだ結果、研究すべきテーマは樹形図のように伸びていき、棋士の関心もどんどん指し手が進んだ局面へと移っていった。それ以前ならば序盤の作戦や中盤の入り口での戦いなどが研究ゾーンだったが、中盤を超えて終盤の1手1手までが対象とされるようになった。

 14年前の名人戦で、60手目まで前例がある将棋で61手目に森内挑戦者が「新手」を指し、羽生名人は4時間近い大長考に沈むも時すでに遅し――という一局があった。当時プロ四段になったばかりの私は、事前研究の大切さを実感したことをよく覚えている。さらに先鋭化が進んだ6年ほど前には、主流戦法の矢倉戦において「91手定跡」なるものがさかんに研究された。将棋の平均手数は約110手、しかし初手から91手目まで最善を研究し尽くすと必然的にここに至るのではないか――という局面が考えられたのだ。棋譜データベースの蓄積がなければ、ここまでのことは起きなかっただろう。私自身、直近の公式戦で多く指されているテーマ局面で、過去に指されていないこの手はどうだろうか? と考えることがよくあり、その研究の巧拙が目先の勝敗に直結していた。

 現在はさらに進んで、将棋ソフト(AI)が登場している。AIは整理された情報をくまなく「評価」してくれる。これまでの局面評価・形勢判断は、あくまでも棋士各々のもので差があり、あとはその後の勝敗ぐらいしか客観的な評価は存在しなかった。だから研究会の場で棋士が集まり、テーマ局面についてすこしでも正しい評価を得るために意見をたたかわせた。ところが現在は、その局面についてソフトに意見を尋ねるとたちどころに見解を数値で返してくれる。つまり誰もが簡単に過去の対局についての「客観的な評価」を手に入れることができるようになったのだ。

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