キリスト教からよむ世界史

対ビスマルクで結束 独政党の芽生え 元駿台予備学校講師 関 眞興氏

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 19世紀にプロイセン主導のドイツ統一をなし遂げた鉄血宰相ビスマルクは、バイエルンなど南ドイツのカトリック信者らとの対立に直面します。プロテスタントであるホーエンツォレルン家のドイツ皇帝の下で中央集権を徹底するため、教会の国家管理をもくろみます。一連の対立は文化闘争と呼ばれ、現代ドイツの主要政党が芽生えるきっかけとなったのです。

■南部反旗、カトリック系が第2党に

 ドイツ帝国は22の君主国と3自由市からなる連邦体制で、帝国議会(男子普通選挙)と連邦参議院(君主国・自由市の代表で構成)の2院制議会が採用されました。

 統一後、バイエルンを中心とした、南ドイツに多いカトリック勢力との関係が問題になりました。統一の興奮に酔っていたカトリック教徒は、落ち着いたところでプロイセン中心の新国家に脅威を覚えました。利害を守るために中央党を組織し、第1回選挙で第2党になりました。このような宗教政党は19世紀半ばのドイツでも生まれていたのですが、宗教問題は教皇や司祭が担うものとする教皇庁はそれに批判的でした。

 1870年代になると、議会政治・政党政治はどこの国でも動かしがたい制度になります。そして、中央党が教皇庁の重要な支援者になることはすぐに証明されます。

 反カトリック政策を続けるビスマルクにとって、第1ヴァチカン公会議は追い風になり、そこでの決定を巡りカトリック勢力が二分されたのを利用して、聖職者の政治への干渉を禁止する法律を制定しました。さらに、新教系勢力の思惑も利用して、ドイツでのイエズス会の活動を全て禁止する法律を制定しました。

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