はじめての著作権法

「倍返しだ」「同情するならカネをくれ」は著作物? 弁護士(森・濱田松本法律事務所所属) 池村 聡氏

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 なお、著作物は「表現したもの」でなければならないということの帰結として、ある抽象的な思想・感情やアイディアを文章やイラスト等として具体的に表現した場合、著作物として保護されるのは、あくまで文章やイラスト等といった具体的な「表現」それ自体であって、その表現の元になっている抽象的な思想・感情やアイディアが著作物として保護されるわけではありません。したがって、アイディア等が共通しているだけで具体的な表現レベルにおいて共通していない場合は、著作権の侵害には当たりません。世間では、アイディアだけが共通しているに過ぎないような場合でも、あたかも著作権の侵害かのように騒がれる傾向がありますが、是非冷静な議論をしていただきたいと思います。

 同様に、いわゆる「作風」と呼ばれるものも、それ自体は著作物ではありません。ちょっと前に、神田桂一・菊池良『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』(宝島社、2017年)という本がヒットしているという記事をネットニュースで読みました。この本は、タイトル通り、村上春樹さんなど、様々な文豪たちの文体でカップ焼きそばの作り方の説明文が書かれているという大変ユニークな本のようですが、文豪たちの「作風」「文体」それ自体は著作物ではありません。したがって、この本を執筆したり出版したりするに際して、文豪たちの許可を得ずとも著作権侵害には当たりません。

COLUMN 現代アート、現代音楽は著作物か?

 要件2や要件3との関係で悩ましいのがいわゆる「現代アート」や「現代音楽」です。現代アート、とりわけコンセプチュアル・アート、ミニマル・アートと呼ばれるジャンルの作品の中には、アイディアがそのまま作品になっていると考えられるものも少なくありません。たとえば、有名なものですと、男性用の便器に落書き(架空の署名)をして展示をしたマルセル・デュシャンの『』が、この手の議論をする際の例としてよく紹介されます。また、現代音楽のジャンルで言えば、ジョン・ケージの通称『4分33秒』という作品が有名です。この作品は、演奏者は楽器とともに舞台に上がるものの、聴衆を前にして何もせず、観客のざわめきや空調の音などのノイズ等を聴く作品であり、通常の楽曲と異なり、肝心の楽器は一切演奏されることがないという作品です。

 それでは、こういった作品は、はたして著作物なのでしょうか? これらの作品は、作品として表現はされていますので、要件3はクリアしている気がします。ただ、便器に署名風の落書きをする、舞台で観客を前に沈黙する、こういったアイディアがそのままストレートに作品として表現されたものであり、言ってみれば、「アイディア=表現」という関係にあるとも考えられます。

 そして、こうした関係が認められる作品を著作物として認めてしまうと、結局アイディアそれ自体を著作物として保護することに等しくなってしまいます。もっと言うと、便器に落書きをしたり、一定時間舞台で何もしなかったり、こういったことに対して、著作権が及ぶことになりかねず、さすがに結論としては妥当ではないように思われるところです。

 さらに、こうした関係が認められる場合、そのアイディアを表現しようとすれば、誰でも似たり寄ったりの表現になりますので、その意味においては、ありふれた表現であり、創作性がない(=要件2をクリアしない)という評価も可能かもしれません。

 こうしてつらつら考えていくと、芸術性の高さや世界的名声とはうらはらに、これらの作品は著作物ではないという結論になりそうです(もっとも、「4分33秒」はJASRACの管理楽曲として登録されているようです)。ただ、著作物であろうとなかろうと、これらの作品は人々に大きな感動や刺激を与え、さらには、アート作品に関して言えば、高い財産的価値が認められているわけです。著作物ではないと考えた場合、私が便器にサインをして発表しても、著作権侵害の問題は生じませんが、おそらく誰からも相手にされないでしょう。また、私ではなく、アーティストがこういったことをやれば、基本的にはモラルの問題か批評性の問題として議論されることになるのでしょう。

 要件2の説明の最後に、「作品としての価値や評価」は、著作物かどうかとは関係がないと説明しましたが、高い芸術作品であると評価されていても、あるいは高額で取引の対象となっていても、そのことと著作物か否かという問題とは別問題なのです。

 このように、アイディアそれ自体は著作物ではない、表現されて初めて著作物なのだ、などと偉そうに(?)言葉では簡単に説明できるものの、実際問題としてアイディアと表現の境界線はそう明確なものではなく、実務上は、時として判断が困難な場合に直面します。

 現代アートではありませんが、こうした問題に関して参考となる有名な裁判例として「城の定義事件」があります。この事件は、ある人(原告)が考案した「城とは人によって住居、軍事、政治目的をもって選ばれた一区画の土地と、そこに設けられた防御的構築物を言う」という城の定義の著作物性が問題となった事件ですが、裁判所は、この定義は学問的思想そのものであり、同様の立場に立つ以上、同一又は類似した表現となることは避けられない(=別の表現にすると定義として別の意味になってしまう)ことを理由に、その表現形式に創作性は認められない(要件2を欠く)とし、上記定義は著作物には当たらないと判断しています。

 ちなみに、実務上、学者同士の著作権をめぐるトラブルというのは結構あります。私がこれまで関与した案件でも、ある学者の先生が「○○教授の論文が私の論文の著作権を侵害している!訴えて欲しい!」とコーフンして駆け込んできたものの、実際に盗作だと主張する論文と依頼者の論文とを比較すると、両者で共通するのは学問的思想(学説)に過ぎず、実際の表現(文章)レベルでは全く異なるというケースが何度かありました。こうしたトラブルは、結局のところ、著作権の問題ではなく、学者としてのモラルの問題(先行してその学説を提唱した研究者へのリスペクトの欠如等)であると考えられます。

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